エミネムのプロフィール紹介|その壮絶な生い立ちから最新の人気曲まで徹底解説

CDの販売枚数が2億2000万枚を超え、史上最も売れたラッパーの1人として名を馳せるエミネム

黒人優位であったヒップホップ界において、白人ながら様々な金字塔的な記録を残してきたことでも知られているエミネムは、9枚のアルバムをビルボード200で連続してデビューさせたただ1人のラッパーとしても知られています。

2002年には、自身の半生を描いた映画8mileに主演し、主題歌のLose Yourselfがアカデミー歌曲賞を受賞するなど、若い頃から伝説的な活躍を見せ続けているエミネム。

しかし、その華々しい活躍の裏側にあるのは、イジメや自殺未遂などの壮絶な過去でした。本記事では、エミネムの壮絶な人生や、人気曲などについて詳しく解説します!それでは早速Check it out!
 

pucho henza

「エミネムは〇〇という困難を、△△で乗り越えた。」

目次

エミネムのプロフィール

アーティスト名EMINEM(エミネム)
本名マーシャル・ブルース・マザーズ3世
年齢50歳(1972年10月17日 生まれ)
身長 173㎝
出身地アメリカ合衆国ミズーリ州セントジョセフ
拠点(レペゼン)デトロイト
学歴中卒
所属レーベルアフターマス・エンターテインメント、シェイディー・レコード、インタースコープ・レコード


スコットランドからアメリカに渡った移民の高祖母を持つエミネムは、そのルーツとしてイギリスやドイツ、スイスやポーランドの祖先を持つと推測されています。

幼いころは母親と共にカンザスシティやデトロイトなどの街を転々としながら生活していたそうです。

エミネムのラップスタイル

過激なワードを使いながらハードなラップをしたり、スリム・シェイディ(Slim Shady)という道化師の別人格を登場させたりと、そのスタイルを七変化させながらをするのが、エミネムのラップの特徴です。

しかし、特に活動初期ごろのエミネムのラップスタイルの根底にあるのは、社会や自分の現状に対する不満や怒りの感情でしょう。

自身の感情をむき出しにし、ラップをトラックに乗せるエミネムの楽曲には、底辺から抜け出すための野性的なパワーや情熱を感じることができます。

一方で、自身の娘に向けて書いた曲では、娘に対する愛情や父親としてのふがいない思いをセンチメンタルに綴り、1人の父親としての葛藤や哀愁を感じさせてくれることもあります。

エミネムの名前の由来

本名であるMarshall Bruce Mathers III(マーシャル・ブルース・マザーズ3世)のイニシャル「M&M」を早口に読むと「EMINEM」(えみねむ)になったことが、彼のステージネームの由来です。

初期にはM&Mという名義で活動をしていたこともあります。

自殺未遂から始まるエミネムの人生

幼少期〜小学生時代

・1972年にミズーリ州セントジョセフに生まれる
・母親と共に居住地を転々としながら過ごす
・友達が出来ず、酷いイジメを受ける。自殺未遂を経験する
・悪環境の中、アフリカ系アメリカ人やHIPHOPと親しむようになる

中学生時代

・14歳ごろから本格的にMCとしての活動を始める
・数々のバトルコンテストに参加
・3度の留年を経験する

中学卒業後

・1996年に自主制作アルバム「Infinite」をリリースするも70枚しか売れない・1997年にリリースした自主制作アルバム「The Slim Shady EP」が2万枚を売上る・ロスでおこなわれたラップオリンピックに参加し準優勝・大物プロデューサーのDr.Dreに見いだされアフターマスエンターテインメントと契約

デビュー後

・アルバムThe Slim Shady LPでメジャーデビューし、グラミー賞最優秀ラップアルバム部門を受賞
・The Marshall Mathers LPをリリースし、世界最速最多売上記録としてギネスブックに認定
・半自伝映画「8mile」に主演。主題歌のLose Yourselfでアカデミー歌曲賞を受賞
・2005年、睡眠剤の過剰服用により、精神病院に強制入院させられる
・2009年、アルバムRELAPSEで復活し、ビルボードの1位を獲得
・D12のメンバーであり盟友のプルーフがクラブで射殺される事件が起きる
・2012年「THE RECOVERY JAPAN TOUR 2012」の公演の為に来日
・2018年アルバム「KAMIKAZE」で様々なラッパーや評論家に対してディスを送る
・2020年アルバム「Music To Be Murdered By」をリリース

現在

虐待やイジメに絶望し、自殺未遂を経験した小学生時代

エミネムは1972年にミズーリ州のセントジョセフという街に生まれました。

父親はエミネムが幼い頃に家族の元を去り、その後会うことは無かったそうです。

一方の母親もエミネムを一度育児放棄し、大祖母(祖母の叔母)の家にエミネムを置いて出て行ったという過去があります。

4歳ころから再び母親に引き取られ、弟と共に3人暮らしをすることになったエミネムですが、他人を傷つけることで周りから関心を得ようとするミュンヒハウゼン症候群を患った母親から虐待を受けるという生活を送っていたそうです。

また、家庭だけでなく「転校生だから」という理由だけで、通っていた学校でも壮絶なイジメを受けていたというエミネム。トイレや廊下でボコボコに殴られるのは日常茶飯事だったそうで、10歳の頃には殴られた衝撃による脳内出血により10日間に渡り生死をさまようという事件も経験しています。

このような壮絶な環境で生活を送っていたエミネムは生きることに絶望し、自殺を試みたこともあったそうです。

叔父の影響でヒップホップに出会う

3度の留年を経験しながら中学校を卒業したエミネムですが、やっとの思いで進学した高校も早々に退学してしまいます。そんな中、エミネムは家族の中で唯一心を許せる存在であった叔父のロニーの影響を受け、ヒップホップと出会う事となります。

ロニーおじさんとは一緒にリリックを書くなど、徐々にヒップホップの世界にのめり込んでいったエミネムですが、そんなささやかな幸せすらも長続きすることはありませんでした。

ロニーおじさんが自殺してしまったのです。

当時は葬式への参列もできないほど強烈なショックを受けたそうですが、その心の穴を埋める為、エミネムはよりいっそうヒップホップにのめり込んでいくこととなります。

当時は今よりもさらに黒人優位だったアメリカのヒップホップシーンにおいて、白人のエミネムはある種差別の対象でした。しかし、エミネムは自身の天才的なラップスキルを武器に数多くのバトルコンテストに参加しながら、ラッパーとして成り上がっていくのです。

Dr.Dreと出会い、ラッパーとしてのスターダムを歩み始める

そんなエミネムの人生を一変させたのが、超大物プロデューサーであるDr.Dre(ドクター・ドレ)との出会いです。

当時、ロスでおこなわれたラップオリンピックで準優勝し、注目度が高まったエミネムはその大会の翌日、西海岸のヒップホップ・ラジオ・ショー「フライディ・ナイト・フレイヴァス」に出演しフリースタイルを披露することとなります。

エミネムのラップを見てその才能を見いだしたDr.Dreは「こいつの目は青いじゃないか」と白人であることを理由にエミネムを批判する周りの反対を押し切り、エミネムと契約。

エミネムの人生の全てをかけて制作したアルバム「The Slim Shady LP」を1999年にリリースし、いきなりビルボードチャートの2位を記録します。

結局このアルバムは全世界で600万枚以上をセールスし、グラミー賞の最優秀ラップアルバム部門を受賞。

エミネムは最貧困から一躍、スターダムを歩み始めることとなるのです。

伝説的な半自伝映画「8mile」で主演を務める

2枚目のアルバム「The Marshall Mathers LP」は発売から1週間で179万枚を売り上げ、ソロシンガー又はヒップホップミュージシャンによるアルバムの世界最速最多売上記録としてギネスブックに認定されました。

その勢いが止まらないエミネムは、2002年、3枚目のアルバム「The Eminem Show」のリリースと相前後して半自伝映画の8mileの主演を務めます。8mileでは、自身がモデルでデトロイトの最貧困層に属しながらもラップだけで希望を掴む青年、B・ラビット役を演じたエミネム。

映画公開当時は「ただのアイドル映画だろう」という批判も多かった8mileですが、そのシリアスで真摯なストーリーと、トレードマークであった金髪をダークグレーに染めて主人公を演じきったエミネムの覚悟もあり、主題歌だったLose Yourselfは2002年度のアカデミー歌曲賞を受賞するほどの反響を得ます。

同時期にリリースされた3rdアルバムの「The Eminem Show」は全世界で1900万枚を売り上げるなどの大ヒットを記録し、2002年に最も売れたアルバムとなりました。

数々のアルバムでヒットを記録するも薬物依存や仲間の死を経験

その後もヒット作を量産したエミネムは2005年、ヨーロッパツアーを計画。このツアーは「今後はプロデュース業に専念するため最後になる」とされており、大きな注目を集めるものでした。

しかし、ツアー目前の2005年8月、エミネムは体調不良を理由に急遽公演をキャンセル

後にこれは睡眠薬の過剰服用および依存症治療のための入院が理由だったとされ、エミネムはこの時精神病院に強制入院させられ、閉鎖病棟に隔離されていたことがわかっています。

また、2006年には自身も所属するヒップホップユニットD12のメンバーであるプルーフがデトロイトのナイトクラブで射殺されてしまうという事件も経験。

事件は、プルーフが犯人との口論の末、頭や胸に4発の銃弾を受けるという凄惨なもので、エミネムは「プルーフが俺をプッシュしてくれたお陰で今の俺がいる。(中略)アイツは俺の一番の親友だった…そしてこれからも。」とコメントを残しています。

プルーフの葬儀では目を真っ赤に腫らしながら涙を流したというエミネムはその後、腕にプルーフの名前をタトゥーとして入れています。

アルバムRelapesで復活し、シーンにカムバックを果たす

薬物依存や仲間の死を経験し、2006年以降表舞台から姿を隠したエミネム。

当時は完全に活動休止をしたわけでは無く、プロデュース業に専念していたそうですが、2009年5月に6枚目のアルバムRelapesでラッパーとしての復活を果たします。

Relapesはアメリカで販売初週の売上げが60万枚を超え、初登場1位を記録。しかし、エミネムは後に「正直Relapesの出来はあまり良くなかったな」と発言しています。

その後2010年にリリースしたアルバム「Recovery」では自身2度目となるアルバムセールス首位を獲得。

2度のアルバムセールス首位獲得はアメリカのミュージックカルチャー史上で初の快挙でした。

数々のアルバムをリリースし、現在もシーンの中心で活躍中

エミネムは現在でも精力的に作品をリリースするなど活躍中です。

2018年に発表されたアルバム「KAMIKAZE」では数々のラッパーや評論家、さらには当時大統領だったドナルド・トランプ氏などを相手に激しいディスを展開。「全方位ディス」として話題に上がりました。

さらには2020年にもアルバム「Music To Be Murdered By」をリリースするなど現在も精力的に活動し続けるエミネム。

ベテランとなりながらシーンの中心に鎮座するエミネムのさらなる新作が期待されています。

\エミネムの半生が映画化/

エミネムがラップを通じで成り上がっていく半生は「8Mile」という映画で描かれています

8Mileの主演はエミネム。主題歌の「Lose Yourself」はアカデミー歌賞も受賞するほど、この年は音楽、映画業界もエミネムで沸いた1年でした。ラップ好きが「ヒップホップ映画といえば8Mile」と語るほどの名作をぜひ映画でご覧ください!

8Mileが見れる
動画サービス
無料期間有料期間
U-NEXT31日間2,189円/月
Amazon Prime30日間400円〜
(レンタル)
Netflixなし990円/月〜
\8Mileの見どころ/

・後にラッパーの神様と称された男の壮絶な人生
・映画では数少ないラッパーの人生に焦点を当てた作品
・「自分の進むべき道」を示してくれるストーリー
・暴力ではなく言葉を使った男のバトル

エミネムの人気曲は?

エミネムの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。

エミネムの人気曲①「Lose Yourself」

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