沖縄レペゼンのMCとして、彗星のごとく日本語HIP-HOPシーンに頭角を表し、UMBの制覇やフリースタイルダンジョンのモンスターを務めたことでも知られるラッパーCHICO CARLITO。
一時はラッパーとしての活動を完全に休止し、楽曲の発表やバトルへの参戦を控えるという時期もありましたが、活動を再開した最近は各大会でベストバウトを連発するなどしており「チコがさらにカッコ良くなって帰って来た」と感じている人も多いのではないでしょうか。
バトルだけでなく楽曲の評価も高く、ラッパーとして華やかな成功を収めているように見えるCHICO CARLITO。
しかし、その華やかな成功の裏側にある苦難や葛藤まで知っている人は少ないのでは無いでしょうか。彼のラップに込められた思いや経歴をひも解くことでHIP-HOPをもっと楽しめることは間違いありません。それでは早速Check it out!
「CHICO CARLITOは〇〇という困難を、△△で乗り越えた。」
CHICO CARLITOのプロフィール
アーティスト名 | CHICO CARLITO |
本名 | 非公表 |
年齢 | 30歳(1993年生まれ) |
身長 | 不明 |
出身地 | 沖縄県那覇市 |
拠点(レペゼン) | 沖縄 |
学歴 | 大学卒 |
所属レーベル | Timeless Edition Rec. |
CHICO CARLITOは沖縄県那覇市出身のラッパーで、祖父はプエルトリコ系アメリカ人という家系に生まれました。
現在でも埼玉県を拠点として活動を続けているそうですが、自身の故郷である沖縄に対しては強い愛を持っていると語っており、あくまでレペゼンは沖縄だそうです。
CHICO CARLITOのラップスタイル
CHICO CARLITOのラップスタイルとしてあげられるのが、ベテランと呼ばれるようになっても変わらないバイブスと、バトルを心から楽しんでいることが伝わってくるグルーヴ感でしょう。
沖縄に強い愛を持っているというCHICO CARLITOは、バトル中にその地元愛を熱く語ることも多く、レペゼンを誇り合う対話型のバトルを持ち前のバイブスで制すことが多くあります。
一方で、沖縄のカルチャーを踏襲した独特の音楽性もCHICO CARLITOの大きな武器の1つで、フローで会場の空気を熱くさせ相手を凌駕するスキルも持ち合わせています。
もちろん基礎的なスキルの高さも段違いで、レッドブルマイクが企画している64BARSの動画が投稿された際には、あまりのスキルの高さに呂布カルマを始めとした様々なラッパー達からも驚愕の声が上がり、話題となりました。
CHICO CARLITOの名前の由来
CHICO CARLITOというMC名は、プエルトリコ系アメリカ人だった父のあだ名「CHICO」から名付けたそうです。
そのCHICOに、祖父と同じプエルトリコ系の主人公役をアルパチーノが演じ、公開年が自身の誕生年と同じ映画「カリートの道」の「CARLITO」ということばを言葉を繋ぎ合わせたのがMCネームの由来だと語っています。
ちなみに、CHICO CARLITOの1stアルバムは「Carlito’s Way」というタイトルで、文字通り「カリートの道」からきているそうです。
酒浸りの毎日から始まるCHICO CARLITOの人生
1993年、沖縄県那覇市に生まれる
小学校低学年からサッカー部に所属し、サッカーを高校まで続ける
私立の中学校に進学するも、退学となってしまい公立中学校に転校する
メロコア系のバンドを組み、ボーカルを担当する
早稲田大学を受験するが不合格し、1年の浪人生活を決意
ラッパー鬼の楽曲「小名浜」を聞きHIP-HOPに興味を持つ
唾奇との出会いやMCバトルを見に行ったことをきっかけとし、ラップを始める
大学進学の為に埼玉県に引っ越す
ラッパーとしての活動を本格化させ、2013年の8月に初めてのライブをおこなう
戦極MC感謝祭其の二ミュージックビデオ杯で優勝し、楽曲「C.H.I.C.O」をミュージックビデオという形で発表する
「フリースタイルダンジョン」に出場し、ダンジョン初陣だったR-指定に4回戦で敗れる
敗者復活枠として出場したUMB2015で初出場、初優勝の快挙を成し遂げる
1stアルバム「Carlito’s Way」を発表
「フリースタイルダンジョン」にモンスターとして出場
アルコールに溺れラッパーとしての活動を完全に休止、沖縄に戻る
2022年2ndアルバム「Sandora’s Son」を発表し活動を再開
2023年3rdアルバム「Grandama’s Wish」を発表
沖縄県那覇市に生まれる
CHICO CARLITOは1993年に沖縄県那覇市に生まれました。
CHICO CARLITOは幼いころの自身について「活発な性格で、歩くのも言葉を覚えるのも早かった」と語っています。
小学生になる頃には海外のMVや日本のチャートTOP50を紹介するケーブルテレビをよく見ていたそうで、この時に培った音楽性が今もHIP-HOPに活かされているのかもしれません。
サッカーや勉強に明け暮れた中学、高校時代
学生時代から勉強も得意だったというCHICO CARLITOは、小学校卒業後、地元の私立中学校に進学します。
しかし、その中学校では退学となってしまい、公立の中学校に転校するという過去があったそうです。
その頃のことに関してCHICO CARLITOは”勉強もサッカーも好きだったし、友達もいたし。別に優等生でも不良でもなかったんですよ。エネルギーがあり余ってたんじゃないすか”と語っています。
その後、進学した高校では学内で3番目の成績を残すほど頭が良かったそうで、校長先生からのアドバイスもあり早稲田大学への入学を希望します。
受験では惜しくも合格点まで3点足りず、CHICO CARLITOは1年間の浪人を決意することとなったそうです。ちなみに小学校から続けていたサッカーは高校生まで続け、大人になった今でも当時の仲間と集まってフットサルをすることもあるようです。
浪人生時代、唾奇に出会いラップを始める
2012年、浪人生として那覇市に住んでいたCHICO CARLITOは、人生を変える出会いを経験することになります。その出会いとは、後に沖縄を代表するラッパーの1人として数えられるようになる2つ上の先輩、唾奇とのものです。
当時、友人がアルバイトをしていたバーに良く遊びに行っていたというCHICO CARLITO。そのバーでバイトをしていたのが唾奇だったそうです。
唾奇は当時からHIP-HOPの曲をよくかけており、おススメの曲などをよく聞かせてもらったとCHICO CARLITOは語っています。
徐々にHIP-HOPのカッコよさに惹かれていったというCHICO CARLITOはその後、唾奇と共にクラブでおこなわれていたMCバトルの大会を見に行き、その時に受けた衝撃のまま、自身もラップを始めることを決意します。
大学進学と共にラッパーとしての活動を本格化する
1年の浪人生活を経て、埼玉県の大学への入学が決まったというCHICO CARLITO。新たな生活の拠点となった埼玉県草加市で、CHICO CARLITOはラッパーとしての活動を本格化させていきます。
2013年に初めてのライブを経験すると、その後もバトルやライブを中心に活発に活動。2014年におこなわれたUMBの沖縄予選ではいきなり決勝に進出するなどの才能を見せ始めます。
その後も戦極MCバトル主催でおこなわれた戦極MC感謝祭 其の二 ミュージックビデオ杯で優勝すると、優勝特典として自身の楽曲「C.H.I.C.O」をミュージックビデオという形で発表。
さらに2015年から始まったフリースタイルダンジョンに登場すると、3人のモンスターを倒し、フリースタイルダンジョン開始以来初めてR-指定とぶつかることになります。
バトルでは惜しくも敗れてしまいますが、知名度の低かったCHICO CARLITOが全国に与えた衝撃は大きく、ネットを中心に大きな反響を呼ぶことになります。
UMB2015で優勝し日本一のラッパーとしての称号を得る
フリースタイルダンジョンで全国のヘッズに大きな衝撃を与えたCHICO CARLITOですが、2015年におこなわれたUMB沖縄予選では初戦負けの屈辱を味わうことになります。
当時のことについて”正直納得がいかなかった”と語るCHICO CARLITOですが、そのくやしさをバネに敗者復活枠となるREVENGE予選を制し、UMB2015の本選出場チケットを見事に獲得。
初出場となったUMB2015では、前年度準優勝のGOTITや横浜レペゼンのラッパー句潤、後にUMBを制覇することとなる早雲などを倒し、一気に決勝進出を果たします。
さらに決勝戦では優勝候補の筆頭だったDOTAMAを飲み込み、UMBに初出場で初優勝の大偉業を達成することとなりました。
UMBチャンピオンの看板を引っさげたCHICO CARLITOはその後、フリースタイルダンジョンの新モンスターに抜擢され、R-指定やT-Pablowらと共に初代モンスターとして活躍。
日本最高峰のラッパーとして認知されるようになっていきます。
アルコールに溺れラッパーとしての活動を完全に休止
ラッパーとして華々しく活躍し、大きな成功を手にしたように見えたCHICO CARLITOですが、この2016年ごろからアルコールに溺れ始め、徐々に心と体のバランスを崩していきます。
そんなこともあり都会での生活を諦め沖縄に戻ることを決意したCHICO CARLITO。
沖縄でも曲を書こうとしたことはあるそうですが、納得のいく物はつくれず「ラッパーを辞めて働こうかな」と葛藤する毎日だったそうです。
CHICO CARLITO自身、当時のことに関して”その間にライバルであるはずのR-指定やT-Pablowはスター街道を駆け上がっており、かなりきつかった”と語っています。
しかし、心のどこかに「まだやり切っていない」という思いがあったというCHICO CARLITOは、好きだったお酒を4年間我慢し、ラッパーとして本気で再スタートを決意します。
仲間であった唾奇からは軽い言い合いになった際に「お前がへこんでると周りに伝染するからハッピーでいてくれ」と発破をかけられ、そのことが復活への励みになったと語っています。
2ndアルバム「Sandora’s Son」を発表し活動を再開
5年間作品の発表をせず、活動休止状態になっていたCHICO CARLITOですが、2022年、2ndアルバム「Sandora’s Son」を発表し、見事にHIP-HOPのシーンの中心に返り咲くことに成功します。
活動再開後は3rdアルバムの発表など精力的な楽曲制作に加え、MCバトルにも数多く参戦しており、沖縄での充電期間を経て強くなって帰って来たCHICO CARLITOのスキルの高さを改めて実感しているヘッズも多いのではないでしょうか。
CHICO CARLITOのベストバウトは?
CHICO CARLITOのpucho henza編集部の一押しバトルを紹介していきます。
①戦極MC BATTLE 第10章 CHICO CARLITO vs 黄猿
東京の下町を代表する酔いどれラッパー黄猿とCHICO CARLITOが戦極MCバトルでぶつかったおススメバトルです。
両者譲らぬフロー勝負で、聞き心地最高なので、ぜひ1度チェックしてみてください。
②KING OF KINGS vs 真 ADRENALINE CHICO CARLITO vs S-kaine
沖縄県名護市の出身であることをカミングアウトした大阪レペゼンのラッパーS-kaineとの熱い一戦です。
沖縄の風景が浮かんでくるようなCHICO CARLITOのエモいラップに、若さと大阪の熱さで対抗するS-kaineの対比が最高にカッコいいバトルです。
バースを重ねるごとに音が重なり、盛り上がりを増していくDA-Dee-MiXのバンドビートにも注目して聞いてみてください。
③凱旋MC battle inさいたまスーパーアリーナ CHICO CARLITO vs ID
沖縄を出て1人暮らしを始めた街、埼玉県のスーパーアリーナでおこなわれた最大規模のMCバトルでIDとぶつかった1戦です。
自分自身をhoodと表現するIDに対し、地元の重要さをスピットするCHICO CARLITOの熱さが堪らないバトルとなっています。
CHICO CARLITOの人気曲は?
CHICO CARLITOの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
CHICO CARLITOの人気曲①「C.H.I.C.O.」
戦極の優勝特典としてMVを公開したCHICO CARLITOの原点ともいえる1曲です。
沖縄や、夏を感じさせる爽やかなトラックに乗せるCHICO CARLITOのハイトーンボイスが病みつきになってしまいます。
CHICO CARLITOの人気曲②「RASEN in OKINAWA」
沖縄を代表する4人のラッパーによる超豪華なマイクリレーで、Red Bullの企画するサイファーで話題になった1曲でもあります。
何度も聞き返してしまいたくなるほどの中毒性に注意が必要です
編集部おすすめ曲「Sandra’s Son」
苦労して自身を育ててくれた母親への愛や幼少期の経験を赤裸々に綴ったおススメの1曲です。
幼いころのCHICO CARLITOの様子が収められたホームビデオの映像がMVに多く使われており、CHICO CARLITOが受けた両親からの愛情を感じることができます。
CHICO CARLITOと仲のいいラッパー
普段から明るい性格だというCHICO CARLITOはラッパー仲間が多いことでも知られています。
特に、独特の音楽性と世界観を持つ沖縄のラッパーとの繋がりが深く、楽曲を作る際だけでなくプライベートでも一緒にいることが多いそうです。
今回はその中でも特に仲が良いとされるラッパーを2人に絞って紹介いたします。
唾奇
沖縄出身で楽曲の評価が高い唾奇はCHICO CARLITOと仲の良いラッパーとして知られており、現在でもよく一緒に楽曲制作をおこなっています。
CHICO CARLITOと唾奇が知り合ったのはCHICO CARLITOが18歳だった頃で、たまたま幼馴染に連れて行ってもらった国際通りのバーの店員が唾奇だったそうです。
当時まだラップをしていなかったというCHICO CARLITOですが、唾奇と出会ったことをきっかけにラップを始め、唾奇の家でレコーディングをする仲になっていったと語っています。
CHOUJI
沖縄県を代表するラッパーであり、CHICO CARLITOいわく「沖縄ではEMINEMを聞いていないやつでもCHOUJIさんを聞いていた」というほどの影響力を持つCHOUJIもCHICO CARLITOと仲の良いラッパーとして知られています。
活動を始めた当時、駆け出しラッパーでライブにもお客さんがほとんどいなかったというCHICO CARLITOと唾奇。しかし、ライブ後にCHOUJIから「ライブ、カッコよかったよ」と声をかけられ、とても嬉しかった思い出があると語っています。
その後、CHICO CARLITOと唾奇がCHOUJIのスタジオにMPCを使ってビートを作る方法を聞きに言った時に「じゃあそのまま1曲作ろう」とCHOUJIから提案され、現在にいたるまでの交友がスタートしたそうです。
気になるCHICO CARLITOのアレコレ
ここまでは沖縄レペゼンのラッパーCHICO CARLITOについての経歴やおススメ曲やバトルに関して紹介してきました。
ここからはCHICO CARLITOのファッションなど、ネットで話題になっているアレコレをさらに深掘りして紹介していこうと思います。
CHICO CARLITOのファッション
活動休止以前は特徴的なロン毛にシンプルなTシャツスタイルが多かったCHICO CARLITOですが、ラッパーとしての活動再開後は髪を短くし、ストリートカジュアルなファッションを着ることが多くなっています。
特にお気に入りのブランドは神奈川県藤沢市で生まれたストリートブランド「Lafayette」(ラファイエット)だそうです。
その中でもCHICO CARLITOは特に、ブルー系やホワイト系など、沖縄らしさ溢れる爽やかなアイテムをチョイスすることが多くなっています。
フリースタイルダンジョンで語られたじょうとの確執
第10回高校生ラップ選手権でダンジョンのモンスターT-Pablowを破り、チャンピオンになった大阪レペゼンのラッパーじょう。
そんなじょうはフリースタイルダンジョンの3rd Season Rec 5に「team ニガマムシ」として登場した際、対戦相手として登場したCHICO CARLITOに対して「この間怒られた クラブのトイレで胸ぐら掴まれた」とラップをしたことがあります。
これに対してCHICO CARLITOは「胸ぐらは掴んでないっす ウソは止めましょう」とアンサーをするのですが、この件に関して番組のコメント欄などでじょうとCHICO CARLITOの確執が話題になることとなりました。
当時じょうはYouTubeでCHICO CARLITOのモノマネを披露しており、そのモノマネを見たCHICO CARLITOがじょうに対して少し怒ったという事はあったそうで、胸ぐらを掴んだかどうかは現在も明らかにされていません。
その語CHICO CARLITOとじょうは同番組の年末特番「フリースタイルダンジョン東西!口迫歌合戦」でのサイファー時に問題解決をほのめかすようなラップをしています。
CHICO CARLITOとじょうが揉めたのは確かですが、長く遺恨を残すようなことにはならなかったようです。
CHICO CARLITOのこれからの野望とは?
様々な苦難や葛藤を乗り越え、今では日本でトップクラスの成功を果たしたかに見えるラッパーCHICO CARLITO。
では、彼はこれからどのような目標を掲げ、ラッパーとしての活動を続けていこうと考えているのでしょうか。CHICO CARLITO自身が語った言葉から、今後の野望について考えていきます。
自分にしかいえないことをラップしていく
CHICO CARLITOはRed Bullが企画するサイファーに参加した際のインタビューで今後の活動に関して「自分にしかいえないことを、ちゃんと、ずっと、ラップしていく」と語っています。
自身が幼少期から経験してきた濃密な人生で感じたことを、自分の言葉を使い、ラップとして表現をすることを目標としているCHICO CARLITO。
今後発表されるであろう楽曲やバトルでのバースでも、CHICO CARLITOのどのような思いが込められているのかを考えることで、私たちのHIP-HOPの楽しみ方が変わってきそうですね。
沖縄をもっと良くしたい
自身が生まれ育った地、沖縄についての思いが人一倍強いCHICO CARLITOは「賃金問題や社会としての課題が多い沖縄を、もう少し良くしたい」と考えているそうです。
さらにCHICO CARLITOは「ラップでお金を稼いで小学校に寄付をするとか、そういう夢がたくさんあります」と語っており、この言葉から沖縄に対する愛や、沖縄が抱える問題を何とかしたいという思いが伝わってきます。
そのためにも、CHICO CARLITOは「皆にラップを聞いてもらって、夢に向かって近づく為に行動していきたい」としています。CHICO CARLITOの熱を持った活動が今後も期待できそうな言葉ですよね。
ラッパーCHICO CARLITOまとめ
「CHICO CARLITOは酒浸りの毎日という困難を、沖縄への愛で乗り越えた。」
ラップを初めてたったの数年でその才能を開花させ、UMBの制覇など瞬く間にスター街道を走り続けているように見えたCHICO CARLITO。
しかし、その成功の裏側ではアルコール漬けの毎日を送り、一時は沖縄に戻ってラッパーとしての活動を休止せざるを得ないほどの状況に追い込まれるなどの苦難を経験していました。
そんなCHICO CARLITOは仲間の支えや沖縄への愛を原動力に見事にシーンにカムバック。
今では精力的な楽曲作成の他、大規模バトル大会に欠かせない華形MCとしてヘッズたちから高い人気を誇っています。
自身が育った沖縄の環境を良くする為にもラップを続けたいと語るCHICO CARLITOの活動に注目することでHIP-HOPが一層楽しめることは間違いありません。
みなさんもぜひ一緒にCHICO CARLITOの活躍を応援していきましょう。