KEN THE 390のプロフィール紹介|その壮絶な生い立ちから最新の人気曲まで徹底解説

豪華な客演とともに発表する楽曲の評価も高く、そのスキルの高さと甘いマスクから男性だけでなく女性ヘッズからの人気も高いラッパーKEN THE 390

彼は人気番組「フリースタイルダンジョン」で長年審査員を務めた一方、様々なアーティストへの楽曲提供や、ボーイズグループのプロデュースなども務めており、プレーヤーとして以外の活動でも日本のHIP-HOPシーンに影響を与え続けているラッパーでもあります。

早稲田大学という1流大学を卒業した後にラッパーとして活躍し、10枚異常のアルバムを発表するなど、一見華やかな成功を続けているようにみえるKEN THE 390。

しかし、彼の成功の裏側にある苦悩や困難を知っている人は少ないのではないでしょうか。彼のラップに込められた思いや経歴をひも解くことでHIP-HOPをもっと楽しめることは間違いありません。それでは早速Check it out!

pucho henza

「KEN THE 390は〇〇という困難を、△△で乗り越えた。」

目次

KEN THE 390のプロフィール

アーティスト名KEN THE 390
本名佐久間 健
年齢43歳(1981年6月17日 生まれ)
身長 177㎝
出身地東京都町田市
拠点(レペゼン)東京
学歴早稲田大学社会学部
所属レーベルrhythm zone


KEN THE  390は東京都町田市出身のラッパーです。

ごく一般的な家庭で育てられたというKEN THE 390は幼少期、横浜市青葉区と東京都町田市にまたがる「こどもの国」というところで遊んでいたそうです。

また、端正で甘いマスクの持ち主であることにくわえ、身長も177㎝となっており、女性からの人気が高いことも納得ができる見た目をしていることも特徴の1つです。

KEN THE 390のラップスタイル

KEN THE 390のラップスタイルで特徴的なのは、正論で対戦相手を真っ向から叩き潰すディベート力の高さです。

自身の優等生的な部分をディスってくるゴリゴリのアングララッパーにも臆することなく100倍返しで言い返す気の強さはもちろん、相手の言い分やスタンスを踏まえた上で的確なディスやアンサーを繰り返し、頭の回転の早さを感じさせるラップスタイルも特徴のKEN THE 390。

このスキルはB-BOY PARK MC BATTLE 2005での ベスト4や、戦極MCバトル第13章での準優勝など、長年に渡って第一線で活躍し続ける原動力にもなっています。

バトル中にフローで会場を湧かせることは少ない一方、活舌の良さはバツグンで、バトル中に早口で言葉を詰め込みながら相手を圧倒していくというスタイルを好んでいます。

KEN THE 390の名前の由来

ラッパーKEN THE 390の読み方は「けんざさんきゅうまる」でその名前は本名の佐久間健からきています。

KENは文字通り名前の「健」からきており、390は「佐久間」という苗字をもじっています

真ん中にTHEを入れることにより、語感をカッコよくさせたと語っています。

ちなみにKEN THE 390の本名である佐久間健は「さくまけん」でなく「さくまたけし」と読むのが正しいそうです。

サラリーマンとしてディスられたことから始まるKEN THE 390の人生

幼少期〜小学生時代

東京都町田市に生まれ、幼少期はこどもの国で遊びながら育つ

中学時代

同級生とバンドを結成し、ベースを担当する

高校時代

私立桐蔭学園高等学校に入学
友人からもらったMDをきっかけにラップを聞き始める
17歳の頃RUN-DMCが主演する映画「Krush Groove」に影響され、ラップを始める

大学時代

早稲田大学社会学部に入学
ソウルミュージック研究サークル「GALAXY」に参加し、仲間と切磋琢磨する毎日をおくる
Da.Me.Recordsの活動に参加し、ラッパーとしての活動を本格化・1年留年するも5年かけて大学を卒業

社会人時代

早稲田大学を卒業後リクルートへ入社し、ラップをしながらサラリーマンとして働く

退職後

2006年に1stアルバム「プロローグ」をリリース
2011年、自主レーベル「DREAM BOY」を立ち上げる
2015年から開始された番組「フリースタイルダンジョン」で審査員を務める
2019年にタレントのかえひろみさんと結婚

現在

東京都町田市に生まれる

KEN THE 390は1981年に東京都の町田市に生まれました。

自身の育った環境について「ごく普通の家庭だった」と語るKEN THE 390。子どもの頃から真面目だと言われることが多かったそうです。

幼少期のころはふれあい動物園や様々な子ども用アトラクションがある「こどもの国」によく遊びに行っていたそうで、自身の楽曲「マイホームタウン」では”俺のバックグラウンド詰まったアスファルト 久しぶり味わった開放感 その名もずばり「子どもの国」”というリリックを綴っています。

高校2年生のころにHIP-HOPと出会い、ラッパーになる

中学生時代は友人とバンド活動をしており、HIP-HOPの世界とは縁がない生活だったというKEN THE 390。

そんなKEN THE 390がHIP-HOPと出会ったのは17歳だった高校2年生ころのことで、そのきっかけは友人からもらったHIP-HOPの詰め合わせMDだったそうです。

MDの中にロックとHIP-HOPを融合させたスタイルが人気だったニューヨーク出身のヒップホップグループであるRUN-DMCや、人間発電所などの楽曲が有名なBUDDHA BRANDが入っていました。

その後、友人の家でRUN-DMCが主演する映画「Krush Groove」のライブシーンを見たKEN THE 390は、そのカッコよさに衝撃を受け、ラッパーとしての活動を開始します。

早稲田大学に進学しソウルミュージック研究会GALAXYに所属

高校を卒業し、早稲田大学の社会学部に進学したKEN THE 390は、RHYMESTERなどの大御所ラッパーが所属したことでも知られるサークル「GALAXY」の活動に参加します。

校則の厳しかった進学校を卒業し”ちょっと調子にのっていた”と語るKEN THE 390は大学1年生のころ、ドレッドっぽい髪型に、バスケットボールシャツを着るなど、ストリート風のファッションをしていたそうです。

今のKEN THE 390からは想像ができませんよね。

GALAXYでは、後に多くの楽曲を制作する仲になるTARO SOULやHIP-HOPクルー「降神」を結成することになる志人と、なのるなもないが同期として所属していたそうです。

Da.Me.Recordsの活動に参加し、ラッパーとしての活動を本格化

KEN THE 390は留年中の22歳ころにダースレイダーやMETEOR、環ROYが立ち上げたレーベルDa.Me.Recordsの活動に参加するようになります。

GALAXYでライブ活動をしてはいたものの”CDの出し方もわからなかった”というKEN THE 390。彼にとってDa.Me.Recordsに誘ってもらったことは大きな助けになったそうです。

このころからKEN THE 390はダースレイダーの家のキッチンでレコーディングをこなすなどし、ラッパーとしての活動を本格化させていきます。

KEN THE 390はDa.Me.Recordsでの活動について”METEORが怖そうじゃない人に声をかけていたから暴力的な人もおらず、同世代ばかりで平和な環境だった”と語っています。

サラリーマンとして働きながらラップをし続ける毎日

早稲田大学を卒業したKEN THE 390は人材、情報サービスを手がける大手企業であるリクルートに入社し、サラリーマンとして働き始めます。

ラッパーとしての活動も休むことなく、様々なMCバトル大会に出場していたというKEN THE 390ですが、当時は「働きながらラップをするのはダサいことだ」という同調圧力が強かったということもあり、バトル中「テメェなんてサラリーマンだろ!」というディスを浴び続けていたと語っています。

そのようなディスに対し「お前もバイトしてんだろ」と返していたというKEN THE 390ですが、心の奥では”確かに音楽1本で勝負する覚悟はできていない”と感じることも多かったそうです。

そのようなこともあり、後先考えないワルでルード(不良、無作法などの意)なヒップホップカルチャーに憧れたはずなのに、結局会社でクソ真面目に働いてる”という自分に嫌気がさし、サラリーマンである自分自身に当時はかなりのコンプレックスを抱えていたと語っています。

この影響もあってかKEN THE 390は入社したリクルートを2年半ほどで退職し、ラッパー1本で活動していくことを決意します。

フリースタイルダンジョンで審査員を務めるなど、シーンの中心に

B-BOY PARK MC BATTLE 2005での ベスト4や、戦極MCバトル第13章での準優勝など、MCバトルで活躍しながらも多くの楽曲制作を続けたKEN THE 390

アルバム制作やライブ活動以外にも自主レーベル「DREAM BOY」の立ち上げなど幅広い活動をおこなったこともあり、その影響力は徐々に日本のHIP-HOPシーンになくてはならないものになっていきます。

代表的なものでいえば2015年に始まった「フリースタイルダンジョン」の審査員をイメージする方も多いのではないでしょうか。

KEN THE 390の冷静かつ客観的なバトル解説はヘッズからの評価も高く、以後は凱旋MCバトルやKOKなどの大規模MCバトル大会でも審査員役として呼ばれることが多くなりました。

最近では史上初の声優によるラップ音楽CD企画である「ヒプノシスマイク」に楽曲提供をしたり、ボーイズグループのプロデュースをおこなうなど、その活躍の場を広げ続けています。

KEN THE 390のベストバウトは?

KEN THE 390のpucho henza編集部の一押しバトルを紹介していきます。

①戦極MC BATTLE 第11章 KEN THE 390 vs CIMA

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