名古屋を拠点として活躍し、日本のHIP-HOP史上最高のラッパーとしての呼び声も高いTOKONA-X。
2004年に亡くなった後もなお日本のHIP-HOPシーンに強い影響力を与え続けているTOKONA-Xはいったいどのようなラッパーだったのでしょうか。
TOKONA-Xの名前を知ってはいるけれど、その人となりなどについて詳しく知らないという人も多いですよね。いったいTOKONA-Xは何が凄くて、どのような魅力が未だにヘッズを魅了し続けているのでしょう。
彼の経歴やラップに込められた思いを知ることで、今のHIPHOPをより深く楽しめることは間違いありません。今回は日本のHIP-HOP史上でも最高クラスのレジェンドラッパーTOKONA-Xについて紹介していこうと思います。それでは早速ceck it out!
「TOKONA-Xは〇〇という困難を、△△で乗り越えた。」
TOKONA-Xのプロフィール
アーティスト名 | TOKONA-X |
本名 | 古川 竜一 |
年齢 | 享年26歳(1978年10月20日 生まれ) |
身長 | 不明 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
拠点(レペゼン) | 愛知県 |
学歴 | 私立高校中退 |
所属レーベル | Def Jam Japan |
愛知県レペゼンのイメージが強いTOKONA-Xですが、意外にも出身は神奈川県横浜市です。
横浜市に生まれたTOKONA-Xは家庭の事情で愛知県に転居し、そこで出会ったHIPHOPで日本最高のラッパーと呼ばれるようになっていきます。
TOKONA-Xのラップスタイル
TOKONA-Xのラップスタイルとして特徴的なのが、自身の活動拠点でもある名古屋への思いを込めたラップが多いというところです。楽曲の中のリリックのいたるところから、東京のシーンに負けない名古屋のスタイルを発信し続けたいという思いを感じ取ることができます。
後は何といっても、TOKONA-Xにしか出すことができない特別感やオンリーワン感が、今なお人々を魅了し続ける理由でしょう。また、彼の作る曲にはTOKONA-Xにしかできないリリックや声の出し方、グルーブ感や迫力を感じることができます。
壮絶な人生を経験したTOKONA-Xが、常にリアルを語り続けるリリックにくらうというヘッズも多く、まさに唯一無二の魅力を持ったラッパーがTOKONA-Xなのです。
TOKONA-Xの名前の由来
TOKONA-Xの名前の由来となっているのは、中学校入学時から住み始めた愛知県常滑市(とこなめし)です。
このようなこともあり、古くからTOKONA-Xを知るラッパーの中には、TOKONA-Xのことをトコナメと呼ぶ人もいます。
仲間外れから始まるTOKONA-Xの人生
神奈川県横浜市に生まれる
母親の逮捕をきっかけに愛知県常滑市に転居
腕っぷしにものをいわせ、いわゆる不良学生として中学生活をおくる
私立高校に入学するが中退
名古屋市のレコード店groove!でラップに出会う
刃頭(ハズ)と共に伝説のユニットILLMARIACHI(イルマリアッチ)を結成
さんぴんCAMPの前座としてマイクを握り、全国に衝撃を与える
Equal、AKIRAと共にMaster Of Skillz(マスターオブスキルズ)を結成
1998年に結婚し、2000年に娘が誕生する
グループ名をMaster Of SkillzからM.O.S.A.D.(モサド)に変更
2004年に死去(死因は熱中症に伴う体力の定価による心停止)
DJ RYOWを中心にTOKONA-Xの楽曲が数多くリミックスされ、現在のアーティスト多数と共演
横浜市に生まれる
TOKONA-Xは1978年に神奈川県横浜市に生まれました。女好きだったという父親と母親に育てられ、一人っ子だったというTOKONA-X。
しかしTOKONA-Xが小学生だったころ、彼の母親は薬物関連の犯罪を起こし、警察に捕まってしまいます。
中学生入学と同時に愛知県に転居
母親が警察に捕まってしまったTOKONA-Xは生まれ育った横浜を離れ、父親の実家があった愛知県常滑市に転居することとなったのです。
愛知県の中学校に通い始めたTOKONA-Xですが「横浜から来た」という理由で仲間外れにされ、孤独な毎日を送っていました。
父親は再婚し義理の弟も出来たそうですが、その父親が体を壊してしまい、生活も苦しかったという当時。TOKONA-Xは、自身の境遇に不満を持ち、腕っぷしにものをいわせ、力ずくで仲間を増やしていきます。
ちなみにTOKONA-Xの悪さは横浜に住んでいた小学校の頃から有名だったそうで、たまたま隣町に住んでいたオジロザウルスのマッチョは「リュウと呼ばれてた有名な男がいた、それがTOKONA-Xだった」とラップしています。
高校生時代にHIPHOPと出合う
中学を卒業し、私立の高校に通い始めたTOKONA-X。その後すぐに高校は中退してしまうのですが、TOKONA-Xはこの高校時代、人生を大きく変える出会いを経験することになります。
それが、名古屋に合ったレコード店「groove!」でのHIPHOPとの出会いでした。
HIPHOPのカッコよさに痺れたTOKONA-Xはそれから、日本、海外を問わずHIPHOPを聞きまくり、その音楽性を深めていきます。
刃頭と出会いラッパーとしての才能を開花させる
HIPHOPを聞きあさっていたTOKONA-Xは徐々にリスナーとしてでなく、ラッパーとして成り上がりたいと考え始めるようになります。
ラッパーとして成り上がるための方法を模索していたTOKONA-Xは、当時名古屋を拠点に新レーベル「音韻王者REC.(オーティノージャー・レック)」を立ち上げた刃頭の存在を耳にし、すぐさま自分で録音したデモテープを送り付けました。
TOKONA-Xのデモテープを聞いた刃頭は「ズバ抜けてカッコいいやつがいた」と衝撃を受けたそうです。さらに幸運なことに同じタイミングで東京のラッパーECDから刃頭に伝説のHIPHOPライブ「さんぴんCAMP」への参加オファーが届きます。
元々は刃頭と活動を共にしていたTWIGIも含めたECDのオファーでしたが、TWIGIはこのオファーを蹴り、海外に遊びに行くことにします。
そこで刃頭は「それなら名古屋の活きがいいやつと出よう」とTOKONA-Xと共にさんぴんCAMPへの出演を承諾したそうです。
さんぴんCAMPで衝撃のライブをし、全国に名を轟かせる
刃頭と共にさんぴんCAMPへの出演が決まったTOKONA-X。
イベント当日になるまでユニット名すら決まっていなかったそうですが、さんぴんCAMP開催の朝、TOKONA-Xの提案でユニット名をILLMARIACHI(イルマリアッチ)とすることが決まります。
さんぴんCAMPの前座としてマイクを握った17歳のTOKONA-Xは開口一番「名古屋だがや!」と叫び、渾身のラップを披露。
当時観客席でTOKONA-Xのライブを見た横浜のラッパーサイプレス上野も「とにかくカッコいい。ものすごい東京とかを煽って。会場が盛り上がったっていうのは覚えてるんですね。すげーの出てきたな!みたいな」と当時を振り返っています。
TOKONA-Xは若くギラギラとした独特の迫力を全面にむき出しにしライブを続けます。
その内容は東京を中心に進んでいくHIPHOPシーンに対するアンチテーゼを含んだものであり、名古屋にもヤバいラッパーがいると主張するようなものでした。
このさんぴんCAMPのライブを境にTOKONA-Xの人生は一変していきます。
ラッパーとして華々しくデビューし、数々の作品を残す
さんぴんCAMPの衝撃そのままの勢いで、レコード会社と契約を結ぶことになったTOKONA-X。ILLMARIACHIでは「荒療治/TOKONAIZM」を初めとする3本の作品を発表し、全国にTOKONA-Xの名を広め始めます。
その後、ILLMARIACHIとの契約を終えたTOKONA-Xは1996年、昔からの仲間であるEqualやAKIRAと共にMaster Of Skillzという3MCユニットを結成。
このように名古屋の地から日本を代表するラッパーとして君臨するようになっていったTOKONA-X。
そんなTOKONA-Xにアメリカから日本に進出してきたばかりの超メジャーレーベル「Def Jam」からオファーが届くことになります。
当時このDef Jam Japanと契約をしたのはTOKONA-Xの他にNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのDABOとS-WORDの2人だけでした。
TOKONA-XはこのDef Jam Japanからアルバム「トウカイXテイオー」と伝説的なシングル「知らざあ言って聞かせやSHOW」を発表。
当時のヘッズたちからの評価は凄まじく、この作品でTOKONA-Xは日本最高のラッパーとして数えられるようになっていきます。
2004年に突然の死去
超大手レーベルDef Jam Japanと契約をし、2枚目のアルバムの発表が待ち望まれた2004年11月22日、当時のネット掲示板に「TOKONA-Xが死んだらしい」という情報が流れ始めます。
当時はSNSもそれほど使われておらず、公式での発表も遅れたことからネット掲示板は一時騒然。
『ECDが「やばいものを掴まされたらしい」』と言っていたなどの不確定情報が溢れ、当時のヘッズたちは掲示板に張り付いて最新情報を集めようとしていたそうです。
そんな中TOKONA-Xが所属するDef Jam Japanから「熱中症による体力低下で心肺停止でTOKONA-Xが亡くなった」という公式発表が出されました。
26歳という若さで大手レーベルと契約を結び、これからさらなる活躍が期待される中での急逝は、日本語HIPHOPシーンにとって痛すぎる損失でした。
TOKONA-Xの死後は、TOKONA-Xと活動を共にしていたDJ RYOWを中心にTOKONA-Xの曲をリミックスする動きが出始めます。その結果、同年代の般若やZeebra、近年のHIPHOPブームの最先端を走るR-指定やAK-69など数多くのラッパーがTOKONA-Xと共演。
TOKONA-Xの曲と存在は、現在も日本語HIPHOPシーンに大きな影響を与え続けています。
TOKONA-Xの人気曲は?
TOKONA-Xの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
TOKONA-Xの人気曲①「知らざあ言って聞かせやSHOW」
言わずと知れたTOKONA-Xの代表曲で、現在でもMCバトルの人気ビートとして使用されています。
日本語ラップ好きの方にはぜひ抑えておいて欲しい伝説の1曲です。
TOKONA-Xの人気曲②「WHO ARE U? 2022 feat. TOKONA-X & ¥ellow Bucks」
TOKONA-Xの人気曲「WHO ARE U?」にヤングトウカイテイオーの名でも知られる¥ellow Bucksがラップを乗せた1曲です。
DJ RYOUも最高にカッコよく、最新版にアレンジされた名曲を楽しめるおススメの1曲となっています。
TOKONA-Xの人気曲③「WHO ARE U ? Remix Mixxx!! / TOKONA-X feat,ANARCHY.般若.紅桜.T-PABLOW」
こちらも「WHO ARE U?」のリミックス曲で、Anarchyや般若、紅桜というベテランラッパーと、BAD HOPでシーンの最前線を走り続けるT-Pablowが共演しています。
般若の”オレ達が曲やれなかったことやれてるのがヤバいじゃん”とTOKONA-Xに語りかけるバースに頷かずにはいられません。
編集部おすすめ曲「New York New York」
名古屋を離れニューヨークに行ったTOKONA-Xが現地で感じたことをラップしたおススメの1曲です。
足場屋でのバイト経験のことなどTOKONA-Xの経歴にも触れられており、TOKONA-Xが気になった方にはぜひ歌詞を見ながら聞いて欲しい1曲です。
TOKONA-Xと仲のいいラッパー
イカツイ雰囲気で多くのラッパーが「簡単には近寄れなかった」と語っているTOKONA-Xですが、そんなTOKONA-Xにも心を許した仲間が存在します。
今回はその中でも特にTOKONA-Xと仲の良かったとされる人物を2人に絞って紹介いたします。
DJ RYOW
名古屋を拠点に活動し、生前のTOKONA-Xと活動を共にしたというDJ RYOWはTOKONA-Xと仲が良かったことで知られています。
2人が初めて会ったのは名古屋のクラブで、たまたまTOKONA-Xと同じ服を着ていたことから話しかけられたというDJ RYOW。
当時はTOKONA-Xの迫力にビビッていたそうで「この先一緒に活動をするとも思っていなかったし、したいとも思わなかった」と語っています。
DJ RYOWはTOKONA-X死後、彼の曲をリミックスし、現代のラッパーと共演させるという試みをおこなっています。
DABO
TOKONA-Xと共にDef Jam Japanと契約し、ライバルでありファンとしてしのぎを削り合ったという盟友DABO(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)もTOKONA-Xと仲が良かったことで知られています。
DAABOはTOKONA-Xの命日にあたる2008年の11月22日、自身のブログでTOKONA-Xが亡くなった当日の心境について語っています。
気になるTOKONA-Xのアレコレ
名古屋をレペゼンするラッパーとして日本語HIPHOシーンに頭角を表し、26歳という若さでこの世を去ったTOKONA-X。
ここからはネットで噂になっているアレコレの情報に関して、より深掘って紹介していきたいと思います。
TOKONA-Xのファッション
TOKONA-Xが活躍していた1990年代後半は、スラムダンクやNBAなどのバスケットボールのブームの全盛期でした。
TOKONA-Xも当時の流行の最先端をいくバスケシャツやヘアバンドを愛用しており、今なお数多くの写真が残されています。
ゴツい体付きとイカツイ顔立ちにUS風のファッションがよく似合っていますよね。
TOKONA-Xの死因について
TOKONA-X死因について、所属レーベルのDef Jam Japanからは「熱中症による体力低下で心肺停止」という公式発表がなされています。
しかしTOKONA-Xの死因に関して、ネットを中心にさまざまな噂があるのもまた事実。
その大きな理由として「寒さが増してくる11月に熱中症で死亡してしまうということがありえるのか」というものがあげられます。
またネットではTOKONA-Xを良く知るECDが「やばいもの(薬物)を掴まされたらしい」と言っていたという不確定情報が出回っていることもこのような噂話に拍車をかけたようです。
またTWIGIも「飛びながら一時酔わされた あしらえず一人が壊されて また一人二人とお別れが」とラップしており、これが「真相を知るTWIGIが、TOKONA-Xについてラップしたのでは」と様々な憶測を呼んでいます。
THA BLUE HERBとのビーフ
その過激な性格から誰とでも仲良くするわけでは無かったというTOKONA-Xは、数々のビーフの当事者でもあります。
その中でも2002年に発表された楽曲「EQUIS.EX.X」の中で、北海道を拠点として活動するTHA BLUE HERBに対し”マトン臭ぇぜ お前どっからきた”、”お前どつき回したるでな RAPで勝負 眠たーこと言ってんな”、”お前ら大概にしとかんとワヤだぞ”と激しいdisを展開。
TOKONA-XはとTHA BLUE HERBの両者は当時、このビーフについて多くを語りませんでしたが、ヘッズには強烈なインパクトを与えました。
この衝撃的なビーフをきっかけにTOKONA-Xはその存在感を増しつつ、シーンのトップに駆け上がっていきました。
ラッパーTOKONA-Xまとめ
「TOKONA-Xは仲間外れにされたという困難を、自身の腕っぷしと史上最高と呼ばれるラップセンスで乗り越えた。」
2004年の死後も伝説として語られ続け、史上最高のラッパーとの呼び声も高いTOKONA-X。
母親の逮捕や、仲間外れにされながらも拳にものをいわせて仲間を作った学生生活など、壮絶な経験を持つTOKONA-Xは、他の誰にもないHIPHOPセンスを武器に、日本最高のMCに成り上がりました。
死後20年近くが経った今でも日本のHIPHOPシーンに影響を与え続け、レジェンドとして君臨し続けるTOKONA-Xについて知ることで、より深くHIPHOPを楽しめるようになったのではないでしょうか。
TOKONA-Xの曲を知ることで、盟友DJ RYOWが今後生み出すリミックスをより楽しめることにも繋がります。
みなさんもTOKONA-Xの経歴を知り、彼の曲を聞きながら大きく進化をとげている日本語HIPHOPシーンに思いをはせていただければと思います。