高校生ラップ選手権やフリースタイルダンジョンなど人気番組でその実力が認められてきたラッパーOZworld。
ファーストアルバム「OZWORLD」でアーティスト名をR’kuma(レオクマ)からOZworld(オズワルド)と改め、その独特な世界観の表現を深めてきました。
2023年9月には3rdアルバム「SUN NO KUNI」をリリース。JP THE WAVY、ACE COOL、ralphなど数々のラッパーと楽曲作成を行い、ますますその存在に注目が集まるラッパーです
OZworldの経歴から、同郷沖縄出身の先輩Awichや唾奇との関係まで詳しくご紹介します!Check it out!
「OZworldは〇〇というコンプレックスを、△△で乗り越えた。」
OZworldのプロフィール
アーティスト名 | OZworld |
本名 | 奥間玲央 |
年齢 | 26歳(1997年11月17日 生まれ) |
身長 | – |
出身地 | 沖縄県嘉手納町 |
拠点(レペゼン) | 沖縄 |
学歴 | 八洲学園大学国際高等学校 |
所属レーベル | I’M HAPPY Entertainment |
OZworldのラップスタイル
独特でスピリチュアルな世界観、示唆に富んだリリックに確かなラップスキルが特徴です。
音楽のスタイルは様々に変えながらも、楽曲の中では一貫した主張を感じることができる点がOZworldの魅力です。
OZworldの名前の由来
OZworldは、以前はR’kuma(レオクマ)という名前で活動していました。
R’kuma(レオクマ)の名前の由来は、母親(奥間綾乃)のあだ名がアヤクマだったので、本名の奥間玲央を文字って名付けられています。2018年、OZworld(オズワルド)へと改名。
OZworldという名前は、今後の活動を考えていた際、自身の世界観にマッチした名前が突然降ってきたのだと名付けた瞬間を振り返っています。
OZworldの足
OZworldは足にハンディキャップを抱えており、MVなどでは杖をついているシーンを見かけるかと思います。
自身の足について、OZworldは「生まれつき下半身の感覚がなく、今歩けていることが奇跡」と語っています。
コンプレックスをぶち壊したかったOZworldの人生
1997年、沖縄県嘉手納町で生まれる。
OZworldが生まれてすぐに両親は離婚。シングルマザーの家庭で育つ。
コンプレックスの多い小〜中学生時代を過ごす
高校時代の友人にファッションや音楽を教えてもらい、ヒップホップと出会う。
高校1年生の時、クルーB-$OONを作り、ラップを始める。
第9回、10回高校生ラップ選手権に出場。
高校3年の2月に高校を退学、その後通信制の高校を卒業。
2018年2月にリリースした、「畳 -Tatami-」以降OZworldとして活動。
1st アルバム「OZWORLD」リリース。
2020年には、I’M HAPPY株式会社を設立。自主レーベルで2ndアルバム「OZKNEEZ FXXED UP」をリリース。
2023年 9月アルバム「SUN NO KUNI」をリリース。
沖縄県嘉手納町で生まれ育つ
沖縄県嘉手納町生まれ。OZworldが生まれてすぐ両親は離婚、シングルマザーの家庭で育ちました。
一人っ子だったOZworldは、ひとり遊びをして自分の世界に浸っているような子供でした。
離婚した父親とは6年前頃に一度会ったと言い、父親の親族には音楽をやっている人が多く、自身と共通するものがあったと語っています。
先輩にあこがれヒップホップを知る
高校1年生の時に、ストリートカルチャーに通じた先輩に誘われ、ラップを始めました。
高校生ラップ選手権の映像を見せてもらい、こんなのはできないと返したOZworldでしたが、その日からリリックを書き始めたといいます。
その後、クルーB-$OONを作り、仲間を集めてラップを始めます。
沖縄市のクラブ「L-LINE(現 EQ)」を拠点に活動を始め、一年ほどした時にRude-αと制作した楽曲「CoCo ga OKINAWA feat.R’kuma」は、YouTubeで反響を呼ぶこととなります。
高校生ラップ選手権に出場
2016年、第9回高校生ラップ選手権に出場。一回戦でその年の優勝者 裂固とあたり敗退します。
しかしその時のバウトは観客の記憶に残り、翌年第10回高校生ラップ選手権にファン投票で選ばれて出場します。
他にもフリースタイルダンジョンに出場するなど、順調にバトルで活躍を続け、R’kumaの名前でその存在が知られるようになります。
アーティスト名をOZworldへ
自身のこれからについて、バトルの印象が強い当時の反応を変えていきたいと考えていたOZworldは、R’kumaからOZworldへと名前を変えます。
これ以降、OZworldの作品はよりアーティスト性が高まり、自身の世界観を打ち出すものへとなっていきます。
バトルについて「初めて会う人を、ディスるのが苦手」というOZworld。R’kumaとして活動していた当時を、音楽やラップが上手くなるためのステージだったと捉えていると語っています。
その後、自主レーベル「I’M HAPPY Entertainment」を設立。プロeスポーツチームFENNELに加入、NiLLANDからオリジナルキャラクターをNFTでリリースするなど様々な活動で自身を表現しています。
2024年3月19日に大手出版会社KADOKAWAからOZworldの初自伝「Live Your Adventure. 冒険を生きろ」が販売されました!
これまで経験してきた、まるでフィクションのような出来事、息が詰まるほどリアルな感情、そしていいことも悪いことも全部含めて、それらがどう今に繋がっているのかがわかる初自伝がめちゃめちゃ面白いのでぜひ読んでみてください〜!
OZworldの人気曲は?
OZworldの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
OZworldの人気曲①「NINOKUNI feat. 唾奇 (Prod. Howlin’ Bear)」
同じく沖縄出身のラッパー唾奇とフューチャーした一曲。
自分たちの生きやすい世界を、まず自分が変わるところから作っていこうという決意が込められています。
OZworldの人気曲②「Peter Son feat. Maria & yvyv (Prod. Howlin’ Bear)」
OZworldのファンタジーでスピリチュアルな世界観が感じられる一曲。
アルバム「OZWORLD」を共に手がけた九州のトラックメイカーHowlin’ Bearのサイケなビートも冴えています!
OZworldの人気曲③「畳 -Tatami-」
音楽や人生に対しての考え方が一変したタイミングで、書き上げた一曲なのだとか。
この曲を機に改名しようと決意し、OZworldというアーティスト名で活動するようになりました。
編集部おすすめ曲「Awich, 唾奇, OZworld, CHICO CARLITO – RASEN in OKINAWA (Prod. Diego Ave)」
沖縄にルーツを持つラッパー、Awich、唾奇、OZworld、CHICO CARITOによるサイファー。レッドブルのマイクリレー「RASEN」にて実現しました。
沖縄民謡の要素をまじえつつ、これからの沖縄のシーンをリードしていく4人の個性が光る一曲です。
OZworldと仲のいいラッパー
OZworldは、同じく沖縄出身のラッパーと親交があり、「社会的なことやLOVEとか、本質の部分を歌う。」と沖縄のラップシーンの魅力について語っています。
OZworldが、おにい、おねえと慕うラッパーをご紹介します。
唾奇
OZworldが、16歳でラッパーとして活動を始めたころから、唾奇とは沖縄市のクラブ「L-LINE(現 EQ)」で交流がありました。
OZworldは「沖縄の陰の部分を背負って音楽をやってる人」と唾奇へのリスペクトを語っています。
Awich
OZworldが17歳の時、先輩のスタジオに遊びに行った際に知り合いました。
AwichはOZworldについて「神秘と共に生きているという感覚が似ていて、弟のような存在だ。」と語っています。
気になるOZworldのアレコレ
気になるOZworldのアレコレを紹介します!
気になるOZworldのアレコレ|①人生に欠かせない10のアイテム
OZworldが人生に欠かせないと語る10のアイテムを紹介します。
①杖
②アクセサリー
③タトゥー
④iPad mini
⑤PS5
⑥NiLLAND
⑦フィギュア
⑧パンツ
⑨AirPods
⑩Audio book
気になるOZworldのアレコレ|②OZworldのファッション
OZworldは個性的で、近未来を感じさせるようなファッションのテイストです。
また、自身のプロデュースブランドVOiCEのジュエリーも使用しています。
気になるOZworldのアレコレ|③OZworldのタトゥー
高校3年生の時にファーストタトゥーを入れたというOZworld。喉元に入った正面龍のタトゥーは、喉仏に龍の顔がある為、喉の動きに合わせて生きているように動くのが印象的です。
他にも、タコライスや、スマートフォンを見る女性、その女性が鏡を見たら宇宙人になってしまっている様子など、様々なOZworldの頭の中の世界がタトゥーとして刻まれています。
OZworldのこれからの野望とは?
OZworldのこれからの野望について解説していきます!
音楽以外のアート活動をやっていきたい
「言いたいことの根本は変わらないだろうから、それをもっといろんな表現方法でやってみたい。」と語るOZworld。
アパレルやNFTアート、ジュエリーブランド「VOICE」のプロデュース、eスポーツ大会のプレイヤーなど、様々な活動を通して自身の信念を発信しています。
自身を探求し続けるOZworldの、HIP HOPの枠を超えたこれからの表現にも目が離せませんね。
宇宙まで行きたい
過去のインタビューでは、宇宙に行き無重力セックスをしたいと将来の夢を語っていました。
「アーティストっていう設定で地球人やっています。」などと発言するOZworldらしいですね。
ラッパーOZworldまとめ
「OZworldは自身のコンプレックスを、誇りに変え乗り越えた。」
身体的ハンデを抱え、コンプレックスがあったというOZworldは、ラップを始め、初めて自分を人に伝えるようになりました。
そして、自分自身は何者かを常に探求し続けることで、次第に抱いていたコンプレックスを誇りに変えてゆきました。
そんなOZworldの曲だからこそ、聞いた人が本当の自分に向き合えるようなパワーを持っているのかもしれません。