SEEDAやNORIKIYOなど数々の楽曲でフューチャーされてきたラッパー仙人掌。
2021年5月のRedBullのマイクリレー「RASEN」にも、鎮座DOPENESS、SPARTA、Moment Joonらと出演し、緊急事態宣言下でしか残せないバースで話題を呼びました。
直近では、ストリートブランドHELLRAZOR(ヘルレイザー)の10周年を記念してリリースされたアルバムに参加しており福岡、大阪とリスニングパーティが開催予定です。
今や日本語ラップ界でもレジェンド級の仙人掌ですが、ラップを始めるきっかけやこれからの野望とは一体何なのか、仙人掌の生い立ちから紐解いていきましょう!では早速Check it out!
「仙人掌にとって〇〇を表現することは、△△ということ」
仙人掌のプロフィール
アーティスト名 | 仙人掌 |
本名 | 不明 |
年齢 | 41歳(1982年生まれ) |
身長 | 不明 |
出身地 | 東京都江戸川区 |
拠点(レペゼン) | 東京都 |
学歴 | 高卒 |
所属レーベル | Dogear Records |
仙人掌は、MONJU/DOWN NORTH CAMPのメンバーとしても知られています。
MONJUのメンバーはISSUGI、仙人掌、Mr.PUGからなるトリオです。
仙人掌のラップスタイル
ラッパー仙人掌は、しゃがれた声でビートに吐き出すことから東京最高峰のMCとも言われています。
ラップを始めた当初は、歌詞を先に書いてハマるビートを探していたが、徐々にビートを決めてリリックを書くスタイルに変わっていきました。
仙人掌は自身のラップを「90年代っぽいね」などカテゴライズされることに抵抗を示しており「自分が表現したいスタイルでやっているだけ。」とあくまで自分がやりたいスタイルを貫いている強さが感じられます。
仙人掌の名前の由来
仙人掌の読み方は「センニンショウ」です。
昔組んでいた1MC+1DJのユニット名が「仙人掌」だったことから、後にラッパーネームとしても受け継ぎました。仙人掌は他にも「サボテン」と読むことに、後から気づいたそうです。
風呂なしアパートから始まる仙人掌の人生
・東京都江戸川区の新小岩で育つ
・低所得の母子が住む福祉住宅で18歳まで暮らす
・従兄からアメリカのHIPHOPについて教えてもらう
・日本語ラップに出会い、熱心に聴き始める
・YAHIKOを筆頭に同世代でラッパーがいることに衝撃を受け、高2の頃にラップを始める
・BESに出会いHIPHOPやさまざまなことを教わる
・以前から知り合いだったISSUGIとMr.PUGでMONJUを結成
・会員限定で「Be In One’s Element」を限定リリース
・待望のオフィシャルソロアルバム「VOICE」が話題を呼ぶ
新小岩の風呂なし四畳半のアパートで育つ
仙人掌は、江戸川区と葛飾区の境にある新小岩で生まれ、低所得者の母子が住む福祉住宅で育ちました。18歳以上の男性が住めないことから、18歳までは風呂なしの四畳半に住んでいたといいます。
住人の中にはシンナー中毒のおばちゃんが居て、ある日玄関先でおばちゃんが死んでいて新聞社が来ていたりと子供の頃から壮絶な世界を目の当たりにしてきました。
少なからず、その環境で育ったことが仙人掌の世界観に大きく影響を与えていています。
育った環境がHIPHOPに関心を持つきっかけとなり、アメリカのラッパーもプロジェクト(低所得者の住む団地)出身と知ることで、仙人掌に共感を感じたのではないかと語られています。
HIPHOPとの出会い
初めは音楽より先にファッションやカルチャーからHIPHOPに入り、実際聴いていた曲はロックが多く特に意識せずに聴いていた仙人掌。
従兄の車で流れていたPUFF DADDYの「No Way Out」などがラップとの出会いでした。滅多に会わない従兄から、数少ない時間で西海岸には2PACやSNOOP、Dr.DREなどのHIPHOPがあると教えてくれたことで、HIPHOPの知識を増やしていきました。
しかし、当時は自身がラップをするまでには至らず趣味で日本語ラップを聴いているだけだったそうです。聴いていた中でも一番衝撃的だったのは「マイクロフォン・ペイジャー」だったそうです。
マイクを持ったきっかけ
千葉県市川市にある老舗ライブハウスでMr.OMERIとDELIが、地元の千葉や茨城、群馬の人たちを集めた「LOCAL MOTION」というパーティを開催。
そこで見た群馬のEELMANがCOMMONとLAURYN HILLの「Retrospect For Life」のインストを使い「俺にはナイフを持つ選択肢もあったけど、こうやってマイクでポジティブに変えたいんだ」というストーリーをラップしていることに感動し、衝撃を受けます。
それをきっかけに、翌日にはラップをやってみようかなと意識し始めたそうです。
ラップを始める前から知り合いだったISSUGIとトラックを作ってレコーディングもできる(Mr.)PUGらとだんだんと意気投合しグループを結成します。
2013年インディレーベルで『Be In One’s Element』リリース
初めはCREATIVE PLATFORMレーベルのプロジェクト「RAW DEAL」の会員のみに限定販売していました。後にRemix盤のリリースで一般的に流通し、700枚限定でオリジナルのアナログ盤もリリースしています。
アルバムのタイトル ” Be In One’s Element ” は ” 水を得た魚 ” という意味で、自分が水を得た魚のようにどんどん泳いで行けるようにという思いが込められた作品です。
与えられた環境下で何ができるのか、どれだけいい感じに泳げるのかと自分自身への挑戦のような気持ちもあったそうです。
2016年ソロアルバム『VOICE』が話題を呼ぶ
2016年オフィシャル初のソロアルバム『VOICE』がDobear RecordとWDsoundsのタッグによってリリースされました。10周年を迎えたDogear Records主宰のMr.PUGと何かやろうという話をしていたことや、WDsoundsのLIL MERCYなどの仲間と何かを作りたいという思いが実り『VOICE』の制作に至ったようです。
制作途中にいろいろ個人的な問題が起きて悩むことが多かった中、MARCYが手渡した小説「ストレートタイム」に救われ前向きに取り組むことができたと話しています。
映画化されたSEEDAのアルバム『花と雨』のラップ指導をする
2020年1月に公開されたSEEDAの傑作アルバム『花と雨』の主人公吉田を演じる俳優の笠松将さんにラップを指導したのは、仙人掌でした。
昔からSEEDAとは仲がよく当時住んでいた家が近いことからよく家に遊びに来て「この動画面白くないですか」と見せあったりしていたそうです。
仙人掌が見せた動画に反応したSEEDAは『花と雨』の映画を作り、仙人掌が見せた動画の映像監督のTAKCOM監督で撮影が進んでいきました。
そんな経緯もあってか、ラップ指導の話が仙人掌に来たのではないかと話しています。
仙人掌の人気曲は?
仙人掌の人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
仙人掌の人気曲①「Be Sure」
アルバム『VOICE』内に収録されていて、仙人掌には珍しい疾走感のある明るめな曲です。ビートメイカーは札幌のZZYです。
仙人掌の人気曲②「Show Off」
『BOY MEETS WORLD』に収録されている1曲。どこまでもブレないDOPEな仙人掌スタイルを聴いてみてください。
仙人掌の人気曲③「hokuto – Imposter feat. 唾奇 & 仙人掌」
hokutoのビートとキャッチーなフックで経験を重ねた唾奇と仙人掌の安定したカッコいいラップが癖になる1曲です。ユニークなMVもぜひチェックして見てください。
編集部おすすめ曲「山手通り SEEDA feat. 仙人掌」
アルバム『街風』に収録されているこの曲のトラックはPUNPEEが手がけていて、PUNPEEらしいトラックにのせてラップする仙人掌の貴重な1曲です。
仙人掌と仲のいいラッパー
仙人掌は昔からずっと仲のいいラッパーに囲まれている印象です。その中で2人のラッパーを紹介します。
SEEDA
SEEDAとは顔見知り程度でしたが、BESの家で集まっていた時にラップが聴きたいというSEEDAの一言でフリースタイルが始まりました。
そこで仙人掌がSEEDAに影響を与えたEGUOとのことをラップにすると意気投合し、一緒にバトルに出場するようになっていきました。
ISSUGI
ISSUGIもMONJU、DOWN NORTH CAMPのメンバーでありソロ活動もしています。ISSUGIとはラップを始める前からの知り合いで、高校も別だったそうですがMONJUや客演でも参加したりと仲の良さがうかがえます。
ISSUインタビューでISSUGIは仙人掌は「どう考えても言葉を扱う才能がある。」と語っていて、お互いにリスペクトを持った仲だといえます。
気になる仙人掌のアレコレ
仙人掌の気になるアレコレを紹介していきます。
仙人掌のファッション
仙人掌は坊主頭でキャップやニット帽などをよく被っていて、ファッションセンス抜群のスタイルです。B-BOYスタイルよりもストリートなファッションで、ヘッズからも憧れなコーディネートです。
・Carhartt
・THE NORTH FACE
・NEW ERA
仙人掌が影響受けた人物
Redbullのインタビューで影響を受けた人物についての質問に
たった一人をあげるなら親父の影響はデカいと思いますね。会社勤めをしていなかったので、それでもいいんだなというか、そういったモデルではなかったっていう意味で。とても人から褒められるような父親ではなかったんですけど、自分にとってはとても大きな存在だったかもしれません。
Red Bull-仙人掌インタビュー『自分が思う“ヒップホップ”をこれからも残していく』
と語られています。
仙人掌のこれからの野望とは?
すでに日本のHIPHOPシーンにおいて名を知らしめている仙人掌ですが、今後の野望とはどんなものなのでしょうか。
月の満ち欠けのように変化を繰り返す
「今日来るときに満月がすごくキレイで、今日の満月を今日の自分が見てこう思った小節を歌う、ひたすらその繰り返しの感覚で曲を作っていたい。」自分の心境の変化を当たり前に受け止めて、それを表現していくことが、自分の役割だと話しています。
ラップができなくなっても仲間と音楽に関わりたい
50代60代になってもずっとライブをしている人たちのように、自分もずっと音楽を続けていって、もしもラップができなくなったとしても、仲間と音楽を作っていたいと語っていた仙人掌。
仙人掌にとって音楽は日常であり、生活の一部、自分自身を表現していくことが生きていくことであり野望なのかもしれませんね。
ラッパー仙人掌まとめ
「仙人掌にとって仲間と共に自分を表現することは、自分の人生を生きること。」
仙人掌の生い立ちから振り返ると、自分の興味の向くままに流されているようにも思えます。しかし、自分の思いのままにやりたいことをやり続けることがどんなに難しいことか、大人になると痛感します。
そして、続けることで信念となり人々を惹きつける存在になれるのかもしれません。育ってきた環境をも武器にできる、仙人掌だけの人生をこれからもラップを通して感じ取っていきたいですね。