20年のキャリアを超え、名古屋を拠点に国内外でDJ・ビートメイカー・プロデューサーなど幅広く活躍しているDJ RYOW。
TOKONA-X、MACHHO、AK-69などHIPHOPシーンを牽引してきたラッパーから、これからを担う、R-指定・¥ellow Bucks・T-Pablowまで数え切れないほどのラッパーと楽曲を作ってきた日本代表するDJの1人です。
日本人のみならず、日本語でなんて言ってるかわからない外国人にもトラックで響かせ、現在も最前線で活躍しています。
そんなDJ RYOWはどのような生い立ちを経て、今に至ったのでしょうか。この記事を読めばHIPHOPを今まで以上に楽しめること間違いなしです。それではCheck it out!
「DJ RYOWは〇〇をきかっけに、△△になった。」
DJ RYOWのプロフィール
アーティスト名 | DJ RYOW |
本名 | 非公開 |
年齢 | 44歳(1980年2月16日生まれ) |
身長 | 非公開 |
出身地 | 岐阜県大垣市 |
拠点(レペゼン) | 東海地方/名古屋 |
学歴 | – |
所属レーベル | DREAM TEAM MUSIC |
DJ RYOWのラップスタイル
DJがライフスタイルになっているDJ RYOWは新しい曲を毎日チェックし続け、探求を怠らない情熱が根底にあります。
そのため、DJの練習はあまり行わずクラブ等でプレイするときは、現場のノリやお客さんの盛り上がりを見ながら選曲しているようです。
クラブ入りもぎりぎりで終わった速攻で帰るニューヨークのDJのようなスタンスを取っています。
また、世代を問わずイケてるラッパーとは積極的にコラボし楽曲を作るバイタリティの高さもDJ RYOWの魅力の一つです。
DJ RYOWの名前の由来
DJ RYOWは自身の名前の由来を明らかにしていません。
仲間内では「リョウ(さん)」と呼ばれていますが、本名も公表していないため、名前と関連しているかも不明です。
ILLMARIACHから始まるDJ RYOWの人生
・岐阜県大垣市で生まれ育つ。・17歳の時にILLMARIACHのライブを見て衝撃を受ける。
・TOKONA-Xと出会い1999年にラップクルー「BALLERS」に加入。
・作ったトラックが「M.O.S.A.D.」では採用されるもTOKONA-X名義は使われない日々が続く。
・渾身のトラックが完成し、「WHO ARE U」の楽曲が誕生。
・2004年にTOKONA-XとKEISHIが相次いで亡くなる。
・仲間の死をきっかけに音楽への意識が変わり本格的にDJの道を歩み始める。
・2005年に初のソロアルバム「PROJECT DREAMS」をリリース、以降コンスタントに楽曲を発表する。
・2019年にリリースした11枚目のフルアルバム「DREAMS AND NIGHTMARES」は、豪華客演からドリームアルバムと称された。
ILLMARIACHのライブに衝撃を受けTOKONA-Xと出会う
岐阜県大垣市で生まれ育ったDJ RYOWは、17歳の時にライブで見たILLMARIACHに衝撃を受けます。
それを機にHIPHOPの世界にのめり込み、クラブへ通うようになったある日、憧れのTOKONA-Xと出会いました。
2人は偶然同じセットアップの色違いを着ており、TOKONA-Xが「良いの着とるな」とDJ RYOWに話しかけたのが最初の会話です。
その後、DJ RYOWはTOKONA-Xの身の回りの世話をするなど関係を深めていきます。
ラップクルー「BALLERS」に加入もTOKONA-Xに認めて貰えない日々
1999年に「M.O.S.A.D.」のメンバーを中心にしたラップクルー「BALLERS」が結成されます。
TOKONA-Xからの進言もあって、このクルーにDJ RYOWもトラックメイカーとして加入しました。
しかし、DJ RYOWが作ったトラックは「M.O.S.A.D.」では採用されることがあっても、TOKONA-Xの個人名義は使われず、苦闘する日々を過ごします。
これが受け入れて貰えなければDJを辞めると思えるほどの渾身のトラックを完成させ、遂にTOKONA-Xからも認められます。
そして完成した楽曲がクラシック「WHO ARE U」で、結果的に最初で最後のTOKONA-X名義DJ RYOWの曲です。
TOKONA-X・KEISHIとの別れ・DJとしての決意
名古屋のHIPHOPシーンを盛り上げていた矢先の2004年にTOKONA-X、BALLERSのホストMCのKEISHIが続けて亡くなります。
親友だった2人の死は、それまでM.O.S.A.D.やBALLERSのメンバーと一緒にいれれば良いという気持ちを持っていたDJ RYOWの意識を変えました。
「自分でやれることやろう」「曲をもっと作ろう」などの意識が芽生え、本格的にDJとしての歩みを始めます。
2004年はDJ RYOWにとって特別な年であり、今ある姿の原形になっていると言えるでしょう。
ソロアルバム「PROJECT DREAMS」をリリース
2005年に初のソロアルバム「PROJECT DREAMS」をリリースします。
なお、アルバムの直前に「WHO ARE U」のCDが出ているため、DJ RYOW名義の処女作はこの曲です。
決意した想い通りに、現在までコンスタントにアルバムのリリースを続けています。
その中でも、2019年にリリースした11枚目のフルアルバム「DREAMS AND NIGHTMARES」は、豪華客演からドリームアルバムと称されました。
また、アルバム制作以外にもトラックの提供・客演・ラッパーのフックアップなど最前線で活躍し、シーンに計り知れない貢献をしています。
DJ RYOWの人気曲は?
DJ RYOWの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
DJ RYOWの人気曲①「DJ RYOW WHO ARE U? feat. TOKONA-X」
DJ RYOWが初めて出したCDシングルで想い入れも強い、言わずと知れた日本HIPHOPのクラシック。
これまでにMACHOO、Anarchy、般若、紅桜など錚々たるラッパーがRemixに参加しており、次の世代へ受け継がれています。
DJ RYOWの人気曲②「ビートモクソモネェカラキキナ 2016 REMIX feat.般若, 漢 a.k.a. GAMI & R-指定」
不穏なイントロから始まる渋いこの曲は、ILLMARIACHIからサンプリングをしてトラックが作られています。
シーンを代表する3人のラッパーの良いところが最大限に出ており、いつ聴いても名曲だと感じさせます。
DJ RYOWの人気曲③「all green feat. 唾奇」
沖縄を代表するラッパーの唾奇が亡くなった友人に向けて作られた曲です。
唾奇のリリックとDJ RYOWのトラックが良い科学反応を生んだ、エモーショナルな仕上がりになっています。
編集部おすすめ曲「DJ RYOW – Money Dance feat. ¥ELLOW BUCKS」
東海地区の後輩でもある¥ELLOW BUCKSと作った1曲。
和風なトラックの聴き心地が最高で、2人の相性の良さが感じられます。
DJ RYOWと仲のいいラッパー
DJ RYOWと仲の良い2人のラッパーを紹介します。
AK-69
現在の名古屋のHIPHOPシーンを牽引していると言える2人は先輩・後輩の関係ですが、付き合いは20年以上と古く非常に仲が良いことで有名です。
DJ RYOWはAK-69のライブDJを務める他、トラックの提供・ラジオでの共演などさまざまな形で仕事を共にしています。
また海外旅行に行く仲でもあり、公私に渡って多くの時間を一緒に過ごしてきました。
刀頭
名古屋出身の刃頭はTOKONA-XとユニットILLMARIACHを組んでいたキャリア30年以上を誇る伝説的なトラックメイカー・DJです。
DJ RYOWが初めて憧れたDJで、刀頭のトラックを聴いたときは感動したと答えています。
一生越せない人と最大限のリスペクトを送るとともに兄と呼ぶほど慕っています。
気になるDJ RYOWのアレコレ
気になるDJ RYOWのアレコレについて紹介します。
DJ RYOWのファッション
反対に被ったキャップ姿がDJ RYOWのトレードマークです。
特にNEW ERAを好んでおり、2020年には「ニューエラを被りこなす日本の100組」に選ばれ、NEW ERA側からその功績が認められました。
また、2007年にはアパレルブランドDREAM TEAMを立ち上げ、名古屋で店舗運営をしています。
ストリート系のファッションを中心にDJ RYOW好みのアイテムを揃え、AK-69など地元出身のラッパーから愛用されています。
DJ RYOWの家族は?
DJ RYOWは、2018年の3月にダンサーの「ウノさん」との入籍を発表しています。年上の姉さん女房で、凛とした姿が素敵な女性です。
また、DJ RYOWはパグ好きとしても有名で、愛犬で先代の「ゴマちゃん」のタトゥーを入れるほど溺愛していました。
DJ RYOWのこれからの野望とは?
インタビューで今後について聞かれたDJ RYOWはこのように語っています。
“このまま作品を作り続けたいし、DJもやれるだけやりたいと思っています。イベントもプロデュースしたり。気持ちのある若い子のサポートもできるだけしていきたいですね。”
また、東海/名古屋シーンについても以下のような熱い思いを秘めています。
“毎年、トコナメさんの命日にはイベントをやってるんですけど、噂だったりYouTubeで知って「TOKONA-Xやべーな」って言ってる10代が出てきたのも嬉しくて、僕が生きているうちにやれることをやったら、少しでも広がっていくのかなって。”
歴史を受け継ぎ、才能ある若手をフックアップすることで、名古屋ひいては日本のHIPHOPシーンを盛り上げる使命感を持っています。
これからも色々な形で盛り上げてくれるでしょう。
ラッパーDJ RYOWまとめ
「DJ RYOWは仲間の死をきっかけに、日本のシーンを支えるDJになった。」
ILLMARIACHに衝撃を受け、DJになったDJ RYOWは今も名古屋に食らったまんまと答えています。
それだけ、TOKONA-Xを中心としたHIPHOPに影響を受けているDJ RYOWを変えたのは、奇しくも仲間の死でした。
数多くの名曲を作り出すとともに、毎年追悼イベントを開く他、ライブでは必ずと言ってよいほど流すなど、TOKONA-Xの偉大さを伝え続けています。
名古屋のシーンが歴史を受け継ぎながらも、進化を遂げているのはDJ RYOWの功績が大きいでしょう。
さらなるDJ RYOWの活躍に今後も目が離せません!