日本HIPHOPの黎明期から現在に渡るまでシーンを牽引したRHYMESTERのトータルプロデューサーであるMUMMY-D(マミーディー)。RHYMESTERの司令塔的な役割を担い、日本にHIPHOP文化を定着させた立役者でもあります。
そんなMUMMY-Dは今年53歳にしてソロデビューを因縁のあるBOSS THE MCとのコラボで果たし大きな話題を呼びました。
また、RHYMESTERとしても6月に約6年ぶりとなるフルアルバムをリリースするなどキャリア30年を超える大御所ながら精力的に活動しています。
そんなMUMMY-Dはどのような生い立ちを経て、今に至ったのでしょうか。
この記事を読めばMUMMY-Dのラップを今まで以上に楽しく聞けること間違いなしです。
「MUMMY-Dは〇〇を与え、△△に導いた。」
ラッパーMummy-Dのプロフィール
アーティスト名 | Mummy-D |
本名 | 坂間 大介(さかま だいすけ) |
年齢 | 54歳(1970年4月14日生まれ) |
身長 | 非公開 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
拠点(レペゼン) | – |
学歴 | 早稲田大学卒業 |
所属レーベル | starplayers Records |
Mummy-Dのラップスタイル
MUMMY-D(RHYMESTER)のラップは綺麗に韻を踏みながらメッセージ性のある内容を歌い上げるスタイルです。
特にMUMMY-Dは個性的な声とバリエーション豊富なフロウを武器に韻の固いリリックに定評があります。
また、ラップが聞き取りやすくラッパーに必要な要素を全て満たしているとR-指定から絶賛を受けています。
Mummy-Dの名前の由来
MUMMY-Dのラッパー名には以下の3つの意味が込められていると言われています。
・中学時代のあだ名「マミー」
・本名「大介」のイニシャル「D」
・酔っ払いを意味する「Drunk」
大学のサークルから始まるMummy-Dのラッパー人生
神奈川県横浜市で生まれる。
神奈川県立緑ヶ丘高校に入学、サッカー部に在籍。
バンドを結成しギターを担当。
早稲田大学に入学、ソウルミュージック研究会で佐々木士朗(宇多丸)と出会う。
宇多丸,JINらとHIPHOPクルー「RHYMESTER(ライムスター)」を結成。
1993年に「俺に言わせりゃ」でデビュー。
2001年に「ウワサの真相」でメジャーデビュー。
2007年に初の武道館でのライブを開催とともに活動休止を発表。・2009年に本格的に活動を再開。
ナレーション、バラエティー、テレビドラマ、CMなどさまざまなメディアに出演。
HIPHOP界を問わずさまざまなアーティストへの楽曲提供。
2023年に初のソロ名義での楽曲発表。
横浜で生まれた育った学生時代
神奈川県横浜市で生まれたMUMMY-Dは両親と弟の4人家族です。
実家がせんべい屋を経営していたエピソードをラッパーとして題材に曲やリリックに落とし込むこともしています。
神奈川県立緑ヶ丘高校に入学後はサッカー部に入部する傍ら、バンドを組み文化祭などでステージを踏むような学生生活を送っていました。
早稲田大学に入学してRHYMESTER結成
早稲田大学に入学し、ソウルミュージック研究会に入ったMUMMY-Dは1歳年上の宇多丸と出会い、意気投合しRHYMESTERを結成。
さらにその後、異常にHIPHOPが好きだった後輩のDJ JINが加入し現在の体制になります。
RHYMESTERとして不遇の時代を過ごす
RHYMESTERは1993年に「俺に言わせりゃ」でインディーズデビューをするも全くと言っていいほど反響がありませんでした。
約6年間はまともに金銭的な稼ぎもない状態が続き、苦悩する日々を送るもメンバー間で話し合い努力を続けます。
MUMMY-Dは社交的な性格を活かし、ブラックマンデーに毎週通いパトリックと絡んでいました。
そして1999年に発表する3rdアルバム「リスペクト」にある「B-BOYイズム」がヒットし、ラッパーとして軌道に乗り始めます。
メジャーデビュー
2001年に「ウワサの真相」でRHYMESTERはメジャーデビューを果たします。
「キングオブステージ」と言われる彼らのパフォーマンスはHIPHOPの枠組みを超えて評価されるようになり、2007年に初の武道館でのライブを開催。
RHYMESTERおよびMUMMY-Dは名実ともにHIPHOPシーンにその名を刻み、現在もなお数多くのラッパーから憧れる対象になりました。
Mummy-Dの人気曲は?
Mummy-Dの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
Mummy-Dの人気曲①「ONCE AGAIN」
RHYMESTERの最高傑作とも呼ばれる「ONCE AGAIN」は聴くものに勇気や元気を与えてくれます。
休止中から本格的に活動再開を宣言した曲でもあります。
Mummy-Dの人気曲②「B-BOYイズム」
HIPHOPファンのみならず、幅広い層に対してRHYMESTERの存在を知らしめたクラシック。
トラックと「決して譲れないぜこの美学」のパンチラインが強烈に記憶に残ります。
Mummy-Dの人気曲③「The Choice Is Yours」
かっこいいだけでなく社会的メッセージが込められている楽曲です。
HIPHOPを通じて色々と考えさせられるリリックも魅力です。
編集部おすすめ曲「tha BOSS “STARTING OVER feat. Mummy-D”」
キャリア34年目にして初のソロ名義での楽曲。
かつてビーフを繰り広げたBOSS THE MC(THA BLUE HERB)との共演はお互いのファンを感動させています。
Mummy-Dと仲のいいラッパー
MMUMMY-Dと仲の良い2人のラッパーを紹介します。
KREVA
MUMMY-D(RHYMESTER)とKREVA(KICK THE CAN CREW)は同時期に活動してきた戦友です。
また、KREVA はFUNKY GRAMMAR UNIT(HIPHOPコミュニティ)の一員だったので、売れる前から関係があります。
2人は楽曲制作・ライブ共演など長きに渡り交友を続けており、お互いの存在を認め合っています。
KOHEI JAPAN
KOHEI JAPANはMUMMY-Dの実弟です。
KOHEI JAPANがラッパーとなったのも兄MUMMY-Dの存在が大きく、切磋琢磨しながら時には協力を重ねこれまで活動してきました。
残念ながら2人の母親は2016年に病気で亡くなられたようです。
気になるMummy-Dのアレコレ
気になるMUMMY-Dのアレコレについて紹介します。
Mummy-Dのファッション
かつてはアディダスをはじめとしたスポーツブランドを好み、過去にはストリート系のファッション雑誌で表紙を飾ったこともあります。
また、長髪のパーマヘアをちょんまげ風に結ぶ独特な髪型も印象的です。
最近は年齢とともに落ち着いたファッションが増えており、白髪姿が渋みを引き立て大人としての魅力を放っています。
MUMMY-Dのコラボ
MUMMY-Dは、ラッパー以外にもサウンドプロデューサーやビートメイカーなど多岐にわたって活動しています。
客演・楽曲提供数は200を超え、HIPHOPのジャンルを超えた以下のような第一線で活躍する大物とコラボしてきました。
・椎名林檎
・スガシカオ
・安室奈美恵
・一青窈
・レキシ
・Crystal Kay
・清水翔太
HIPHOP界はもちろん、音楽業界全体から高く評価されていることが、MUMMY-Dが天才たる所以です。
Mummy-Dのこれからの野望とは?
今年ソロデビューを果たしたMUMMY-Dは以下のようにコメントしています。
“HIP HOPっていいなあ。なので、オレはもっと頑張ることに決めました。ソロもライムスターも。職業「ラッパー」をありにした日本で第一の世代として、それなりに歳をとった今、何を歌っていけばいいのか、どんなコトバを発するのか。まだ誰も体験したことのない領域に突入して行く感じ、すげーワクワクします。”
Mummy-D(RHYMESTER)、初のソロ名義リリースであの人との交歓再び
まだまだヘッズを楽しませてくれるでしょう!
ラッパーMummy-Dまとめ
「MUMMY-DはHIPHOPに多様性を与え、多くの逸材をラッパーに導いた。」
MUMMY-Dを含めRHYMESTERは特別な生い立ちやハードな環境で育った過去を持っていません。
また、当時は高学歴やストリートを通っていない人間がラップする土壌があまりなく、普通の人がラッパーになるのは難しい時代でした。
それを可能にしたのがRHYMESTERでありMUMMY-Dです。
そしてKREVA・KEN390・RIP SLYME・Creepy Nutsなど数え切れないほどのラッパーがその影響を受け、現在のシーンで活躍しています。
さらなるMUMMY-Dの活躍に今後も目が離せません!