デビューアルバム『Illmatic』で名を馳せ、オバマ元大統領も熱狂させたとして知られるラッパーNas。
Nasの名前を一度は目にしたことや聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。NasはHIPHOPを語る上で避けることのできない歴史的人物です。
当時主流となっていたL.A.の毎夜女性を呼んでパーティに繰り出し、マリファナを吸って、派手な遊びを描くラップスタイルとは対照的に、ニューヨークの貧困・ギャングの抗争・ドラッグの売買などストリートのリアルを文学的にリリックに落とし込むことで、HIPHOP界に革新を巻き起こしました。
HIPHOP界最高のリリシストラッパーとなったNasの生い立ちから紐解いていくことで、HIPHOPの歴史やNasがなぜこれほどまで支持されているか分かること間違いなしです!早速Check it out!
「Nasは〇〇という困難を、△△で乗り越えた。」
ラッパーNasのプロフィール
アーティスト名 | Nas |
本名 | Nasir bin Olu Dara Jones |
年齢 | 50歳(1973年9月14日 生まれ) |
身長 | 173㎝ |
出身地 | ニューヨーク市ブルックリン区 |
拠点(レペゼン) | クイーンズブリッジ |
学歴 | 8年生(日本における中学2年生)で退学 |
所属レーベル | Columbia Records, The Jones Experience/Def Jam, Mass Apparel, Universal Music LLC |
Nasの名前の読み方は「ナズ」。日本では「ナス」と呼ばれていたが、2008年頃から「ナズ」と読むことが定着しました。
Nasのラップスタイル
Nasのラップスタイルは、極めて高く深い文学性のあるリリックが特徴であり、リリシストの代名詞的な存在です。攻撃性がある強烈なメッセージの中に、詩的センスが光る言葉選びが随所に見受けられる彼のリリックからは、ラッパーだけでなく言葉の表現者としても極めて高いスキルを持っています。
Nasは楽曲のテーマとして、貧困やドラッグ、暴力、ギャングの争いなどゲットーで生きる人達が直面している残酷な現実、アンダーグラウンドな日々から抜け出すための真っ当な生き方など、自らの生い立ちにまつわるリアルな内容が多いです。
そして、Nasは世界情勢や国内政治に関して自らの意見をはっきりと表明するなど、冷静沈着かつ社会派な一面を見せることもあります。
この二面性は、残酷な現実に真向から反抗し、自らの人生を好転させようと頭を使って奮闘してきた本人の生き方が反映されたかたちと言えるかもしれません。
Nasの名前の由来
Nasの名前の由来は、本名である「ナーシアー・ビン・オル・ダラ・ジョーンズ(Nasir bin Olu Dara Jones)」のファーストネームを省略したものです。ナーシアーとはアラビア語で「他者を守る者」、「他者を救う者」を意味します。
ちなみにミドルネームの「オル・ダラ(Olu Dara)」は実父の本名です。オル・ダラもNasと同じく音楽アーティストであり、コルネット奏者、ギタリスト、歌手として活躍しています。
ストリートから始まるNasの人生
ニューヨーク市のブルックリン区に生まれる。
ジャズ・ミュージシャンの父と、後にヒップホップMCになる弟と暮らす。
ニューヨーク州クイーンズに移住し、中学2年生の時に退学。
ドラッグの売人をしながらも聖書などを読み勉強を続ける。
ウィリー・イル・ウィルグラハムと出会いHIPHOPに興味が湧く。
DJとして活動し始める。
1994年にアルバム「Illmatic」が全米165万枚を売り上げる。
1996年に2ndアルバム「It Was It Was Written」で全米チャート初登場1位を記録。
このアルバムについて2pacは生前の最終作品でディスしている。
ニューヨークのブルックリン区で生まれる
Nasは1973年にニューヨークのブルックリン区で生まれました。
父親のオル・ダラはジャズ・ブルースのミュージシャンだったこともあり、幼少期から音楽に触れて育ちます。
Nasはオル・ダラが1998年に発表したファーストアルバムに収録されている「Jungle Jay」にゲスト参加し、親子という枠組みを越え互いにリスペクトし合うアーティスト同士として共演を果たしています。
クイーンズのブリッジ団地に移住する
Nasはクイーンズに移住してから、8年生(日本では中学2年生)の時に退学しています。
この頃からドラッグの売人を経験するも、勉強を続け聖書や5%ネイションの教書を熟読しています。
1994年HIPHOPシーンに名を刻む名作をリリース
ソロデビューシングル「Halfe Time」をリリース後、今やHIPHOPシーンで代表するクラシックとなった「Illmatic」をリリースします。「クラシック」とは、何年経っても色褪せない名作という意味です。
「Illmatic」は、Pete RockやDJ・Premier、Q-Tipという当時ニューヨークの有名プロデューサーらが集結した作品です。
Nasが体験してきたストリートのリアルと、そこから抜け出そうとするポジティブなメッセージが多くの雑誌などから評価を受け、現在に至るまでHIPHOPの歴史的作品とされています。
当時、アメリカのHIPHOPは西海岸のギャングスタラップが勢いを持っていて、2pac、Snoop Doggy Dogなど東海岸のラッパーよりも人気がありました。そんな中地元クイーンズのHIPHOPシーンの力を集結させたのが「Illmatic」だったのです。
1999年「I Am…」「Nastradamus」をリリース
「I Am…」と「Nastradamus」の本来二枚組のアルバムをリリースする予定でしたが、「Nastradamus」は急遽トラックを全て撮り直すという事態になったり、加えて周りからの評価は良いものではありませんでした。
「I Am…」についてNasは、いつもラップ・ミュージックを聴いている友達に向けて、彼らの聴く音楽のレベルを高めるために作ったと明かしています。
アルバムのタイトル曲である「i am The Autobiography」では、「自分が生きていることに感謝している」「人は自分が生きていることに感謝するべき」という想いが込められています。聖書などで勉強してきたNasならではの歌詞で、自分が感じたことについて、ありのままを表現しながらもポジティブなメッセージ性を感じます。
2002年再びNasが注目を浴びる
2001年に「Stillmatic」、2002年「God’s Son」を発表して評価を取り戻しました。
デビュー作「Illmatic」の評価が高すぎるため、新作を出すたびに比較されてしまう状況の中、それに匹敵する名盤とされたのが、5枚目のアルバム「Stillmatic」でした。2pacやJay-Zへのアンサー曲も収録されています。
「God’s Son」では、Ja RuleやAshantiをフューチャーしています。この頃にはJay-Zとのビーフも沈静化していました。
“わたしは神の子”とそのままの意味としてタトゥーにもしているNasは、この頃母親の死などで神様について改めて考えるようになっていたと話しています。
2018年Kanye Westのプロデュース曲をリリース
6年ぶりで11作品目となるアルバム『Nasir』は、Kanye West全面プロデュースとなる力作です。
Kanye Westは当時Twitterで以下のように語っています。
「俺らはリアルタイムに楽しみながら創造しているんだ。俺が街を歩くと、車から爆音でアルバムたちが流れているのが聞こえてくる。子供たちが俺のところにお気に入りの曲を伝えにくるんだ。俺たちは音の組み立て方とアイデアで実験しているのさ。」
アルバム中の「Everything」では客演のKanyeがサビパートを担当していることから、Kanye色が強い作品となっています。
Kanye Westは「奴隷は選択だった」の発言で炎上し、うまく言葉に出来ない内容をリリシストのNasが書き上げたリリックなのではと想像します。
Nasの人気曲は?
Nasの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
Nasの人気曲①「If I Ruled the World」
2ndアルバム「It Was Written」の中のシングル曲。Lauryn Hillを迎えた強力な1曲で、アルバム内でも極めてクラシックとなった1曲。
Nasの人気曲②「Hip Hop Is Dead」
アルバムと同じタイトル曲で「ヒップホップは死んだ」とそのままの過激なタイトルで、これまでの生き様などを綴ったものとは違って政治的な声明や当時の自己表現が薄いHIPHOPに対する危機感や悲しみが込められた曲です。
Nasの人気曲③「I Can」
全米ビルボードhot100で12位という快挙を遂げた曲で、次世代の子供達に向けた「願うものにはなんだってなれる」というNasからのメッセージが詰まった曲です。
編集部おすすめ曲「N.Y.STATE OF MIND」
「Illmatic」の2曲目に入っている曲で、Nasのリリックの言い回しや言葉遊びが秀逸です。
HIPHOPの文学的なレベルを押し上げた歴史に残る1曲なので是非聴いてください!
Nasと仲のいいラッパー
Nasと仲のいいラッパーを紹介します。
AZ
AZはニューヨーク、ブルックリン生まれでNasのパートナーとして知られています。
Nasのアルバム「Illmatic」の「Life’s a Bitch」に初めて参加しており、AZのデビューアルバム「Doe Or Die」にNasも参加しています。
NasとAZ、FOXY BROWN、CORMEGAが参加している、Dr.Dreがプロデュースした「The Film」はドープで最高な1曲なのでぜひ聴いてみてください。
サラーム・レミ
『Stillmatic』の「Poison」という曲を一緒に制作したたときに、自然と“ブラザー”のようになったと話しています。
次世代の子どもたちに向けた「願えば何にでもなれる」というメッセージが込められた「I Can」もサラーム・レミの曲となっており、二人の価値観が近いことが分かります。
気になるNasのアレコレ
Jay-Zとの関係やファッション、好きなラッパーを紹介します。
Jay-Zとのビーフ合戦の真相
NasとJay-ZとのビーフはHIPHOP史上でも語り継がれるビッグネーム同士のビーフ合戦となりました。
ことの発端は、1996年にNasがJay-Zのアルバム『Reasonable Doubt 』への参加を断ったことで始まりました。このビーフ合戦は2005年まで続き、Jay-Zの母親がビーフに対して良い印象を持っていなかったことからお互い冷静になり、関係性が改善されていきました。
後にNasは、歴史に残るビーフを誇りに思うと語っています。
Nasのファッション
Nasのファッションは、いわゆるHIPHOPの王道であるGucciなどのハイブランドを着用するテイスト。
ファッションにおいてもクラシックであり、90年代を代表するファッションアイコンの一人です。
- KARL KANI
- POLO SPORT
- KANGOL
- NEW ERA
- Timberland
などがあげられています。
近年の90年代ファッションの再流行で再びNasのファッションが再注目され、エイサップロッキーやMIGOSなど現代のラッパーたちにも影響を与えています。
Nasの好きなラッパー
ソロアーティストで好きなラッパーは数多くいるが、ラップグループで好きなのは「Run-DMC」だと以下のように明かしています。
最も好きなラッパーたちは、Run-DMCだ。ソロアーティストだと、お気に入りが多すぎるけど、Run-DMCは今まで見たことないことを音楽でやった。彼らはロックとラップをやっていたんだ。ルーティンをやっていて、Runのラップの途中に、DMCが入って終わらせたり、その逆をしたりする。そしてアドリブがあって、エレキギターや、808のサウンド、ブレイクビート、Jam Master Jayのスクラッチの生演奏。多くの要素が同時に起きていた。ラップミュージックが、今まで以上に大きくなった。自分にとっては、それが最も印象的な出来事だったんだ。だからRun-DMC。
Nasのこれからの野望とは?
Nasのこれからの野望とはいったいどんなものなのでしょうか。
音楽は命を救う
自分の音楽が誰かの命を救うきっかけになったり、人生において始めるインスピレーションになることは素晴らしい。
そう語るNasの姿に嘘は無く、ポジティブなメッセージを発信し続けてくれるのではないでしょうか。
ラッパーNasまとめ
「Nasはストリート育ちという困難を、勉強を続けることで乗り越えた。」
アメリカ最大であるプロジェクトのクイーンズ地区で育った経験もありながら、勉強を続けたことでHIPHOP界最高のリリシストになりました。
自分ではどうしようも出来ない困難や苦悩にも、努力をすれば必ず光は差すのだとNasが証明してくれました。
HIPHOPの歴史を知る上でも重要な人物Nasについて知ることで、ますますHIPHOPが楽しくなります!
これからも生きるレジェンド、Nasの活躍を追っていきたいです!