神奈川県相模原市を中心に活動しているヒップホップグループの「SD JUNKSTA」のリーダーを務めるなどの活躍で全国にその名を全国に轟かせることになったラッパーNORIKIYO。
数々の人気曲やアルバムをリリースし続ける彼を知らないラッパーファンはいないといっても過言ではありません。
そんな順風満帆なラップ人生を歩んでいるNORIKIYOには壮絶な過去がありました。今回は、NORIKIYOが乗り越えた苦労や困難を詳しく解説していきます。それでは、Check it out!
「NORIKIYOは〇〇という困難を、△△で乗り越えた。」
NORIKIYOのプロフィール
アーティスト名 | NORIKIYO |
本名 | 上野 きよのり |
年齢 | 44歳(1979年12月12日 生まれ) |
身長 | 167cm |
出身地 | 神奈川県相模原市 |
拠点(レペゼン) | 神奈川県相模原市 |
学歴 | 高校卒 |
所属レーベル | 諭吉レコード |
NORIKIYOは1979年に神奈川県相模原市で生まれました。
現在は、ある事情で服役しています。
NORIKIYOのラップスタイル
NORIKIYOのラップスタイルは、フロウを特に大切にしているラップスタイルで、言葉の重み、大切さをとても強く感じるようなラップスタイルとなっています。
また、高い技術を持っており、韻の上手さ、音楽とのノリの良さどれをとっても一流の技術といえます。
NORIKIYOの名前の由来
NORIKIYOの名前の由来は、本名である「上野きよのり」の入れ替えて付けたと語っていました。
地元の仲間との努力から始まるNORIKIYOの人生
神奈川県相模原市で生まれる。
スケボーにハマり毎日練習していた。
スケボーで流れていたヒップホップを聞きラップに興味を持つ。
ヒップホップにハマりダンスやDJの練習を開始する。
弟にDJをすればモテるようになると言い、ターンテーブルを購入させる。
1999年に地元の友人とSD JUNKSTAを結成する。
2005年CONCRETE GREENに参加する。
1stアルバムEXITをリリースする。
大麻取締違反で3年の実刑判決を受ける。
神奈川県相模原市で生まれる
NORIKIYOは、1979年12月12日に神奈川県相模原市で生まれました。
普通の一般家庭に生まれ、一般的な幼少期を過ごしました。
スケボーにはまる中学時代
NORIKIYOは、中学時代はスケボーにハマっていました。
そこで、流れていたヒップホップを聞き、ラップに興味を持つようになりました。
ラップにハマる高校時代
高校時代のNORIKIYOは、ヒップホップにハマっていました。
この頃からラップやDJ、ダンスの練習を始めました。
また弟にDJになれば女子にモテるとそそのかし、ターンテーブルを購入させたというエピソードもあります。
SD JUNKSTAを結成する
1999年に地元の仲間と共にSD JUNKSTAを結成しました。
メンバーは、Norikiyo・Bron-K(ブロンケー)・TKC(ティーケーシー)・KYN(ケー・ワイ・エヌ)・Wax(ワックス)・Ojibah(オジバー)・Site(サイト)・DJ Deflo(デフロ)・DJ Isso(イソ)の9人です。
1stアルバムリリース
2007年にNORIKIYOは自身の1stアルバムをリリースしました。
グループとしていくつかアルバムはリリースしていましたが自身名義のアルバムは初のリリースでした。
大麻取締法違反で逮捕される
2022年8月に大麻を販売目的で栽培していたとされNORIKIYOは逮捕されています。
2023年6月に懲役3年の実刑判決を言い渡されています。
判決が出る直前にNORIKIYO本人がSNSで声明文をアップしています。
NORIKIYOの人気曲は?
NORIKIYOの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
NORIKIYOの人気曲①「Bitter Days」
EP「実験的断片集」の収録曲です。落ち着いたトーンのビートでどこか寂しげな雰囲気を漂わせる曲です。また、リリックも自身の過去を反省する自戒の念を込めた内容になっています。
NORIKIYOの人気曲②「FACE(feat. BES)」
1stアルバム『EXIT』収録曲。
自分自身にしか従わない、NORIKIYOのライフスタイルを反映したリリックが心に刺さります。
NORIKIYOの人気曲③「DO MY THING」
原点にて頂点と言われるほどの名曲です。
The HIPHOP感がカッコよく、NORIKIYOがガツガツしていた時期の曲です。
編集部おすすめ曲「IN DA HOOD」
IN DA HOODは、入院中の葛藤をリリックに綴った一曲。
「一生車椅子生活は覚悟してください」と言われる中で、ヒップホップという光にすがり、どん底から這い上がる姿勢が随所に感じられる。
NORIKIYOと仲のいいラッパー
NORIKIYOと特に仲の良いラッパーを紹介します。
Bron-k
2人の出会いは、NORIKIYOがBron-kに興味を持ちいきなり電話を掛けたことからだと語っています。
Bron-kが一度失踪した際もNORIKIYOを頼っていたというエピソードもあります。
般若
NORIKIYOと般若は公私共に仲が良く、度々お互いのライブやツアーなどに招待しています。
般若は客演だと15分ほどで帰ってしまうというエピソードを語っていました。
気になるNORIKIYOのアレコレ
NORIKIYOの気になるアレコレについて紹介します。
NORIKIYOは結婚している?
NORIKIYOは実は結婚していた過去があります。
子供も生まれており、離婚した際はもう二度と子供に会えないのではないかと不安に駆られたとインタビューに答えていました。
後に元嫁と子供に宛てた曲「枯れない花束」をリリースしています。
現在は定期的に子供に会うことができているようです。
20代のNORIKIYO
20代のNORIKIYOは、ラップ1本で食べていくことが困難で、グレーゾーンといわれる商売をして生活していた過去がありました。
そんな過去を乗り越えて現在は、ラップ1本で食べていけるような人気ラッパーになりました。
逮捕について
NORIKIYOは大麻取締法違反で2022年に熊本県で逮捕されています。
販売目的で乾燥大麻18.4キロ(末端価格1.1億円相当)もの大麻を栽培したと報道されていましたが本人は、「後悔も反省もしてない」と語っています。
実際にはNORIKIYOが誰かに大麻を販売したという証拠は見つからず、本人も誰にも売っていないし、販売目的ではなく自身の病気の療養のために必要であったと語っています。。
NORIKIYOのこれからの野望とは?
NORIKIYOのこれからの野望について解説していきましょう!
子供にカッコいいと思われる父親でいたい
NORIKIYOは、逮捕前に、子供にいつまでもカッコいいと思ってもらえるような父親でいたいと語っています。
NORIKIYOのラップをしている姿は、誰が見てもカッコいい存在だと思います。
現在は、逮捕されてしまい、カッコいいとは遠くなってしまいましたが、罪を償い出所した後のNORIKIYOには、またカッコいい存在になってほしいですね。
ラッパーNORIKIYOまとめ
「NORIKIYOはラップ1本で食べていくという困難を、自分の努力で乗り越えた。」
NORIKIYOは、ラップを始めたころはラップ1本で食べていくことが叶わずラップを諦めようか考えていた時期もありました。
しかし彼は諦めるのではなく自分自身の我慢や努力でこの時期を乗り越え見事ラップ1本で食べていくことのできる人気ラッパーへとなりました。
皆さんも自身のやりたいことにつまずいてしまう時があると思います。
そんな時はNORIKIYOのように我慢や努力をすることで新たな道が見えてくるかもしれません。
今は逮捕されてしまったNORIKIYOですが、出所後の彼の活躍にはこれからも目が離せません。