茨城の土浦で生まれ育ったラッパーRyugo Ishidaと、東京のラッパーNENEが出会い、プロデューサーのAutomaticにより結成された、HIPHOPユニット「ゆるふわギャング」。
ゆるふわギャングは、2人で初制作した楽曲「Fuckin’Car」のMVが海外メディアやアーティストの間で注目され、インパクトのあるルックスや独特のセンスが、ファッションアイコンとしても世界的なムーブメントを巻き起こしています。
2017年には、ラッパーSALUがゆるふわギャングを客演に迎えた楽曲「夜を失くす」をリリースし、幅広い層のラッパーファンから支持を得ました。
今回は、ゆるふわギャングのフロントラッパーであるRyugo Ishidaが、脚光を浴びて海外でも活躍するラッパーになるまでの半生を紹介いたします。
まずはRyugo Ishidaのプロフィールから、その半生を追ってみていきましょう!Check it out!
「Ryugo Ishidaは〇〇という自分を、△△をきかっけに乗り越えた。」
ラッパーRyugo Ishidaのプロフィール
アーティスト名 | Ryugo Ishida |
本名 | 石田りゅうご |
年齢 | 30歳(1993年生まれ) |
身長 | 不明 |
出身地 | 茨城県土浦市 |
拠点(レペゼン) | 東京 |
学歴 | 高卒 |
所属レーベル | Mary Joy Recordings |
Ryugo Ishidaは、1993年に茨城県土浦市の4人兄弟の長男として生まれました。
現在は、東京を拠点に海外を飛び回り活動しています。
Ryugo Ishidaのラップスタイル
Ryugo Ishidaは激しくたたみかけるラップというより、メロウで落ち着いたテンポのラップスタイルを得意としています。
Ryugo Ishidaが語るラップスタイルは、その時々の音楽シーンの変化を受け止め、常にそこにぶつかっていく、そして今の自分が思うこと、できることを表現していくスタイルだそうです。
それは、彼の自分自身を固定せず縛り付けない自由な生き方に当てはまります。
2人の素直な姿勢や純粋に音楽を楽しむ生き方は、HIPHOPのジャンルを超えて「ゆるふわギャング」という唯一無二のジャンルを創り出したといっても過言ではありません。
Ryugo Ishidaの名前の由来
「Ryugo Ishida」は、彼の本名「石田りゅうご」をMCネームに使用しています。かつては「DUDE」の名義でラッパーとして活動をしていましたが、途中で「Ryugo Ishida」に改名し活動しています。
本名に改名した理由は、幼いころからあったシリアスな環境から逃れられず、ネガティブな自分でラッパー「DUDE」として活動していたけれど、それを全部終わらせて新たなスタートを切りたかったためです。
土浦出身のラッパーとの出会いから始まるRyugo Ishidaの人生
茨城県土浦市で男女4人兄弟の長男として生まれ、父親から頻繁に虐待を受けて育つ。
小学2年、両親が離婚する。
父親が事故死したことを手紙で知る。
小学5年、不登校気味になる。
中学1年、彼女がレイプされる。
中学2年、新しい父親が借金を苦に自殺未遂。HIPHOP好きな3つ上の従兄弟に憧れて、HIPHOPカルチャーに興味を持つ。
中学3年、HIPHOP好きの先輩にクラブへ連れて行ってもらう。
土浦のラッパーDEAR’BROに出会い影響を受けたRyugoは、ラッパーになると決意を固める。
自分で曲を作るようになり、友人5人とともに音楽制作活動に没頭する。
授業をまともに受けず、昼はリリック制作で夜はクラブ遊びに明け暮れる。
高校1年から20歳過ぎまで「Young Blood」というイベントを毎偶数月に開催。
友人2人で土浦に「YBC」という古着屋をオープンするも1年余りで廃業。
トラックメーカーのAutomaticと出会う。
半年に1回フリーダウンロードのEP「1993」を出す。
2016年5月、1stアルバム『EverydayIsFlyday』をリリース。
MCネームを「DUDE」から本名の「Ryugo Ishida」に改名。
クラブイベント「BLUE MAGIC」でNENEと出会い一緒に曲作りを開始。
2人で自主制作した楽曲「Fuckin’ Car」のMVをyoutubeにアップし、海外からも注目を集める。
NENEが2人のユニット名「ゆるふわギャング」を提案。
Automaticの提案により、EP曲を5曲制作し、 1stアルバム制作資金をクラウドファンディングで募ることに成功する。
2017年4月、ゆるふわギャング1stアルバム「Mars Ice House」リリース。
2018年12月、2ndアルバム「Mars Ice House Ⅱ」リリース。
暗い自分を形成した幼少期
Ryugo Ishidaは、茨城県土浦市の男女4人兄弟の長男として生まれます。
幼少期から父親に虐待を受け育ちますが、小学2年の時に両親が離婚し母親に引き取られました。Ryugo Ishidaにとっての父親は、虐待の記憶しかありませんでしたが、両親の離婚後に1度だけ父親と再会した時、なんでも言うことを聞いてくれた父親が印象的で、彼はとても嬉しかったと語っています。
次も会う約束をしていたものの父親との連絡が途絶え、後に手紙で事故死していたことを知りショックを受けます。
小学5年ごろからあまり学校に行かず、中学に入学すると続けていたサッカーを辞めて次第にグレはじめたRyugo Ishidaは、地元に暴走族はなくバイクに興味がなかったため、どこかで寝ていたり保健室で過ごしたりと授業をサボって過ごしていました。
不幸が続いた中学時代
そんなRyugo Ishidaは、中学時代も次々と不幸な出来事に見舞われていきます。
中学1年で付き合い始めた彼女がレイプされてしまったり、中学2年のころには、新しい父親が借金を背負いそれを苦に自殺未遂。
彼の取り巻く環境はいつもネガティブな出来事で固められ、その環境から抜け出せないまま身動きが取れず、自身もネガティブな暗い性格に染まっていきました。
土浦出身のラッパーDEAR’BROとの出会い
Ryugo Ishidaは、そんな暗い環境のなかでも自分の好きなことを見い出すことが出来ました。
HIPHOP好きな3つ上の従兄弟に憧れ、HIPHOPカルチャーに興味を持ち、従兄弟のファッションや好きな音楽を真似て楽しむようになったのです。
そこで、地元土浦のラッパーDEAR’BRO(ディアブロ)に呼び止められCDを渡されます。
DEAR’BROのCDを聴いて圧倒されたRyugo Ishidaは、CD裏に記載されていた電話番号にすぐ連絡し、後日DEAR’BROから食事に誘われ、そのわずか1週間後には、DEAR’BROから自身のサイドMCになってステージに立ってほしいと提案されます。
この出会いが、Ryugo Ishidaの人生に明るい光をもたらし、暗闇からの脱却につながりました。
中学3年でラッパーになると決意
DEAR’BROとの出会いをきっかけに、彼から影響を受けたRyugo Ishidaは、ラッパーになる決意をします。それからの彼は自身で曲作りをはじめます。
ヴィレッジヴァンガードで、スタジオジブリ作品集のインストを購入し、それに自分のラップを乗せたものが彼の作ったはじめての楽曲でした。
いまいちの出来栄えだったそうですが、この経験を通して曲作りの楽しさを知っていったのでしょう。
高校入学までのあいだは、孤児院から出所した友人を記念した曲を友人5人でレコーディングしたり、楽曲制作の精度を上げるため、学校で盗んだものを売ってマルチトラックレコーダーを購入しました。
こうしてRyugo Ishidaは、友人たちとの音楽制作で残りの中学生活を謳歌しました。
クラブでの夜遊びに音楽に夢中になった高校時代
仲のいい先輩の後を追いノリで高校に入学したRyugo Ishidaは、高校の授業をまともに受けず、昼間はリリック制作で夜はクラブで遊ぶことに夢中になり、音楽活動をともにしてきた中学の友人たちと遊び方が変わりバラバラになっていきました。
Ryugo Ishidaは、ライブがやりたかったため先輩に相談すると、先輩のイベントに参加させてもらえることになりました。
友人や同世代の人をたくさん呼んで「Young Blood」というイベントを毎偶数月に開催し、15〜16人ほどの規模のクルーが自然発生したりと大変な盛り上がりをみせました。このイベントは、Ryugo Ishidaが高1から20歳くらいまで続きました。
グレて喧嘩が多かった中学時代。ノリで入った高校は行ってもつまらない。
Ryugo Ishidaは、こうしてクラブオンリーの生活になるわけですが、ただ荒れた生活を送る青年とみて取ることもできます。
しかし、そんな生活のなかでも、ラッパーになると決意した日から彼の心は変わらず、好きな音楽に真っすぐ行動してきた結果、音楽を通していろんな人たちと出会うことができました。
高校卒業後2回目の人生の転機となる出会い
Ryugo Ishidaは高校卒業後、Tシャツプリント店でアルバイトしながら楽曲制作をするも、20歳になるころ「このままではヤバイ」という危機感が生まれます。
そこで、Tシャツプリント店でデザインを学んだりフライヤーを作った経験を活かし、友人2人で土浦のショッピングモールに「YBC」という古着屋をオープンさせます。
消費者金融でオープン資金を借金したため、当時荒れた生活を送っていました。
その店は1年あまりで廃業し、つぎにお金を稼ぐためにはじめたBARで、テクノやハウスを覚え、改めて音楽の必要性を感じます。
そんなとき、地元のイベントのミーティングでトラックメーカーのAutomaticと運命的な出会いを果たします。Ryugo Ishidaは「あと2年でラッパーとして売れたいのでプロデュースしてほしい」とAutomaticに頼み込み、Automaticのバックアップのもと地道にラップスキルを積んでいきます。
Automaticからリードが送られてきたらRyugoがリリックを書き、それをまたAutomaticに投げては週に1回アドバイスを受け、一緒にイメージを固めるという作業をひたすら続けました。
新たな自分で再出発
Automaticからのフィードバックを受けてラップを練習しつつ楽曲をたくさん作り、半年に1回フリーダウンロードのEP曲「1993」を発表します。
それから、東京でのライブが増えたことで気持ちが浮かれ、洋服を買ったり奢ったりする私生活になり、所持金がほぼ底をつきます。お金に溺れたRyugo Ishidaに残ったのは、親父の形見と、自分で買った指輪、あと婆ちゃんからもらったネックレスのみ。
その時、お金も仕事も無くなったことで「自分がなんなのか?」自身を俯瞰して見れるようになり、すべてが吹っ切れたといいます。そして2016年5月、1stアルバム「EverydayIsFlyday」をリリース。
このアルバムは、過去の青春時代の自分を集約し現在の自分はもうその次元にいないという、彼の新境地を表現しています。また、そのタイミングでMCネームを「DUDE」から、父親が名づけてくれた本名の「Ryugo Ishida」へと改名し勝負していこうと決めました。
ゆるふわギャング結成
Ryugo Ishidaは、クラブイベント「BLUE MAGIC」でラッパーNENEと出会う。
お互いのタトゥーの入れ方が似ていたことがきっかけで仲良くなり、Ryugoのことを知らなかったNENEは帰宅後に彼についてネットで検索し楽曲を聴いて、Ryugoと一緒に曲を作ることを決めます。
NENEは後のインタビューでこう語っています。
「リュウ君と出会ってすべてが変わった。隕石がぶつかって地球ができた、みたいな感じ。それまでの私は本当にただの石ころみたいだった。彼と出会ってはじめて音楽に対して真剣になれた。」
Ryugo IshidaもまたNENEと同じように語っています。
「NENEと出会って、すべて明るく見えるようになったし、ポジティブになった。(彼女は)俺の中心。今はNENEがいて、やりたいことがある。」
その後、2人で自主制作楽曲「Fuckin’ Car」のMVをyoutubeにアップすると、Major LazorのDiploにツイートされ、海外メディアにも取り上げられることとなります。そして、NENEが「ゆるふわギャング」というユニット名を提案し、それが採用されます。
「ゆるふわギャング」の由来は、NENEがRyugo Ishidaのソロ楽曲である「EverydayIsFlyday」を聴いて、そのリリックが「ゆるふわ」と感じたこと、「ギャングっぽい」彼の刺青だらけのルックスや壮絶な生い立ちから、この2つを合わせて「ゆるふわギャング」としました。
ゆるふわギャングの世界観が支持される
Automaticの提案で、Ryugo IshidaとNENEはEP曲を1ヶ月ほどで5曲制作します。その後、1stアルバム「Mars Ice House」リリース。
このアルバムは、クラウドファンディングサイトのCAMPFIREで制作資金を募り制作されました。Automaticの音楽業界を変えたい想いから試みた資金調達は、目標資金を大幅に上回る91万5000円が集まり大成功しました。
しかし、一部から資金調達することへの批判や、「地元土浦を捨てた」などのヘイトを浴びました。この事が影響し、アルバムの後半にできた楽曲は、ネガティブを殺してポジティブなものに変えていくようなメッセージ性の強いものになっています。
2ndアルバム「Mars Ice House Ⅱ」は、アメリカに2回に分けて渡り、2週間ずつカリフォルニアに滞在している間にレコーディングされました。アメリカの土地や文化や音楽に触れて、そのスケールの大きさや、アメリカで音楽活動をする人々からポジティブな影響を受け大きな収穫となります。
アメリカでのレコーディングは、その後のゆるふわギャングの音楽活動を勇気づけ、2人の「ネガティブな感情を好きなことにぶつけて発散しポジティブに変えていく」というマインドを確固たるものにしました。
ゆるふわギャングの音楽が支持されているのは、音楽性のクオリティーの高さやインパクトのあるルックスだけでなく、Automaticによる音楽業界を変えたい想いや、Ryugo IshidaとNENEのネガティブを昇華する表現力や生き方に共感し、勇気づけられているためです。
Ryugo Ishidaをはじめ多くのラッパーから愛されているVape Maniaがマジでチルと話題です!
定番のリキッドからジョイント、クッキーまで幅広い商品を取り揃えているVape Maniaは「本当に合法でいいの?」ってレベルでガンギマリします。笑
編集部もVape Maniaを愛用していますが、おすすめはCBNのジョイントかクッキーです。忙しい日常を忘れ、非現実の贅沢をしたい時におすすめなのでぜひ買ってみてね!
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Ryugo Ishidaの人気曲は?
ラッパーRyugo Ishidaの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
Ryugo Ishidaの人気曲①「YRB」
2016年のソロアルバム「Everyday Is Flyday」の楽曲「YRB」は、当時のRyugo Ishidaがお金持ちになる夢を描いた内容になっています。
「YRB=ヤングリッチボーイ」の略で、今や世界を股にかけるラッパーになったRyugo Ishidaが、この曲を書いて有言実行したことで、さらに聴き手に勇気をあたえつづけている伝説的な名曲です。
Ryugo Ishidaの人気曲②「Fuckin’ Car」
ゆるふわギャング結成前の2人が、ネットでフリーダウンロードしたビートとメールを通して交渉したビートを繋ぎ合わせて作った楽曲です。2人で夏に遊びに出かけた際の帰りの車中で撮ったMVは、エモーショナルでどこかさみしさを感じさせます。斬新で独創的なMVは必見です。
Ryugo Ishidaの人気曲③「Fifteen」
Ryugo Ishidaの10代のころを歌った楽曲です。今のスタイルとは違うラップのノリで、当時流行っていたトラップ系で歌っています。
子どもながら抱える苦悩や葛藤を表現したリリックと鮮烈なトラックは、いまその世代である子にもぜひ聴いてほしい一曲です。
編集部おすすめ曲「Escape To The Paradise」
自分の感情をそのまま歌い上げたような楽曲で、その飾らないリリックと独特な中毒性のあるトラックは、聴いているこちら側の心のモヤモヤもすっきりと晴らしてくれます。
ゆるふわギャングの得意とする、どこか空虚でエモーショナルな世界観が詰め込まれたMVは、いつ観ても新鮮で異世界に迷い込んだ感覚に陥ります。
Ryugo Ishidaと仲のいいラッパー
ラッパーになり次第にネガティブな自分を昇華していったRyugo Ishida。
今ではラッパー仲間にポジティブな影響をもたらすほどです。そんな彼と良好な関係のラッパーを紹介いたします。
Lunv Loyal
Ryugo IshidaがNENEと出会ったクラブイベントで、Ryugoと一緒に来ていたのがLunv Loyal。
Lunv LoyalがRyugoとはじめて出会ったときに、自分と似ていると感じたそうです。
Lunv Loyalは根がネガティブな自分と当時のRyugoが重なったのかもしれません。現在、ゆるふわギャングとして活動する2人からは、ポジティブなエネルギーをたくさんもらい救われていると語っています。
JNKMN
JNKMNとゆるふわギャングは「JODY」というユニットを結成しています。
その楽曲「555」のMVは、サッカー場やスキー場で開放的に遊ぶ姿が撮影されていて、お互いの仲の良さを物語っています。
気になるRyugo Ishidaのアレコレ
2人のユーモラスで唯一無二な世界観は、Ryugo Ishidaのクールなビジュアルからも醸しだされています。
Ryugo Ishidaのセンセーショナルな部分に触れていきましょう。
ゆるふわギャングがコラボする「ゆるふわクッキー」
ゆるふわギャングも愛用するCBD。多くのラッパーがコラボしているVapeManiaとも、限定コラボ商品の「ゆるふわクッキー」を販売しています。
合法でチルな気分を味わえると、多くのラッパーが愛用するCBD。大麻から抽出される成分のうち、厚生労働省からも認可を受けている合法な成分がCBDです。
CBDの中でもマジでキマるCB9という成分がヤバいので気になる人は読んでみてね!
Ryugo Ishidaのファッション
Ryugo Ishidaは、MVやプライベートでも柄物やビビットな色味のものを着用することが多いです。
洗練された着こなしとは違い、奇抜でクールだけどキッズ感のある独自のファッションセンスが魅力的です。
海外でも高い支持を得ている日本発のファッションブランド「BAPE®︎」の 2022 AW SPECIAL LOOKBOOKのブランドアイコンとしてゆるふわギャングの2人が起用され、ビビットでインパクトのあるデザインの服をクールに着こなしています。
これまでに、大手ヘッドホンメーカーで知られる「Beats By Dre」のタイアップや、世界的なファッションブランド「Black Eye Patch」のポップアップストア「YURUFUWA GANG」でポスターモデルに起用されるなど、ワールドワイドな活躍を魅せています。
Ryugo Ishidaのタトゥー
Ryugo Ishidaは、顔や腕など上半身に自由に散りばめられるように刻まれたタトゥーが印象的です。
RyugoとNENEの手の甲には宇宙人モチーフのお互いのフェイスタトゥー、そしてお互いの指先にはゆるふわギャングの文字が刻まれています。
その他にもNENEと同じ場所に刻まれたタトゥーも存在し、2人の関係の深さが伺えます。
Ryugo Ishidaは、タトゥーをありのままの自分を表現するためのアートとしてポジティブに捉えていて、NENEとは性格が対照的であっても、タトゥーに対する考えや物事の捉え方などが合致しています。
タトゥーをネガティブな印象として捉えたり、タトゥーに限らず日本には未だ同調圧力や抽象的思考に縛られる事柄が多くあり、そんな現代に息苦しさを感じてきたRyugo Ishidaは、実際に地元の土浦でタトゥーだらけの容姿を批判されたりネガティブな経験をしてきました。
Ryugo Ishidaの憧れるラッパー
Ryugo Ishidaがインタビューで語っていた憧れのラッパーを3人紹介いたします。
Lil Wayne
ラップスタイルで憧れるのは、Lil Wayneです。
たしかに、Lil Wayneのラップスタイルや声質が、Ryugo Ishidaに似ていると感じました。
Eminem
次に、ラップをはじめるきっかけとなったのはEminemです。
ラッパー界ならず、幅広い人々に支持される世界的ラッパーのEminem。
Ryugo Ishidは、中学時代に、HIPHOP好きな従兄弟の影響から、Eminemの存在を知り衝撃を受けました。
Kendrick Lamar
最後に、こういう人になりたいと思うラッパーはKendrick Lamarです。
Kendrick Lamarは、これまでに貧困や人種差別、女性蔑視などの社会的な問題にも鋭く切り込んだメッセージ性のあるリリックで、グラミー賞やピューリッツァー賞までも獲得している世界的に偉大なラッパーです。
Kendrick Lamarの音楽に込めたメッセージは、Ryugo Ishidaの心に響いて救われてきたのかもしれません。そして、人間性の部分でも尊敬しているラッパーなのでしょう。
Ryugo Ishidaのこれからの野望とは?
現代の日本の音楽シーンは、いろんなスタイルのラッパーや音楽がどんどん出てきて、さらに盛り上がりを見せていると感じるRyugo Ishidaは、今後の活動についてインタビューで語っています。
「自分もこれからもカマしていくし、これ以上にどんどん切り開いていきたいなっていうか。自分たちが最前線に立った時には、もっと広い世界、もっといい環境になっているんじゃないかなと思う。」
と未来の音楽シーンで最前線に立つ自分を想像し、わくわくしているようです。
また、ラッパーとして表現できるゴールはまだ遠く、目指し続けていくことについても語っています。
「ソロでラップはじめてからは10年くらい経って、まだまだゴールは高い位置、遠い位置にあるけど、マイク1本だけでこういう場に呼んでもらったりして、自分にとってはやっぱりうれしいし、表現を続けてきてよかったなって思いますね。」
Ryugo Ishidaは夢を夢のまま終わらせない強い意志と、今後も高みを目指し進み続けるポジティブなエネルギーでみなぎっています。
彼の今後の活躍も目が離せません!
ラッパーRyugo Ishidaまとめ
「Ryugo Ishidaは負の連鎖する環境から逃れられないネガティブな自分を、リリックで表現し音楽活動を続けることで、様々な人との出会いをきっかけに乗り越えた。」
Ryugo Ishidaは、幼少期の家庭環境から地元の社会一体までも、自分を取り巻く環境がネガティブに包まれていました。その環境から抜け出すことは、決して簡単ではありません。
しかし、彼はそんな壮絶な環境の中でも、自分の好きな事を見い出し、リリックでネガティブな感情を表現することでその想いを昇華していきます。
こうして突き進んだ結果、いろんな人と出会い、夢を叶えるチャンスを掴みます。
もちろん失敗もあり、すべてを失った経験もありますが、そこで挫折せずにやってこれたのは、これまでの様々な出会いで、自分にチャンスを与え支えてくれた人たちの存在があったからではないでしょうか?
人生に行き詰まり、八方ふさがりな状況でも、必ず光は見えます。もし苦しい状況にある方は、Ryugo Ishidaのような行動をとってみてはいかがでしょう。
①自分が楽しいと思える事を見つけ、ネガティブを発散する。
②自分の好きな事で自分に可能性を見い出せるようになる。
③好きなことが共通する仲間が集まってくる。
④自分を信じて突き進む。
自分が嫌いでも、現実逃避でもいいんです。今ある環境が苦しいのなら、逃げるのは一つの手段。
自分の楽しいと思う道にシフトチェンジしてみましょう!
次第に心が軽くなり、視界が開けて自分に自信が持てるようになるはずです。