唾奇との共同楽曲で、Youtubeで再生回数が100万回を突破している人気曲「Routine」や、
地元をレペゼンした「この街でいきてる」で名を知られるラッパーのケンチンミン。
ケンチンミンは地元大分を拠点として活動していますが、2013年に自主制作のアルバムを作成後、現在も定期的にアルバムやシングルをリリースし全国の人たちに音楽を届けています。
また、ケンチンミンは飲食店を経営するなど音楽活動以外の分野でも活躍中です。
音楽活動以外でも地元大分を盛り上げている、大分を代表するラッパーケンチンミンのプロフィールや経歴を紹介します。ぜひご覧ください!
「ケンチンミンは〇〇という困難を、△△で乗り越えた。」
ラッパーケンチンミンのプロフィール
アーティスト名 | ケンチンミン |
本名 | 不明 |
年齢 | ー |
身長 | 不明 |
出身地 | 大分県 |
拠点(レペゼン) | 大分県 |
学歴 | 高卒 |
所属レーベル | Chilly Source(2023年7月脱退) |
ケンチンミンは大分県を拠点に活動しています。
Chilly Sourceに所属していましたが2023年7月に脱退を発表しています。
ケンチンミンのラップスタイル
日常を切り取ったような等身大のリリックがたくさんの人の心を揺さぶります。ゆったりとした音楽に乗せられたラップが心地いいです。
「この街で生きてる」では地元大分をラップにしていたり、他の楽曲でもMVの中で大分の景色が登場したりと大分で生きている自分を発信し続けています。
ケンチンミンの名前の由来
ケンチンミンは”両親が中国人で日本名と中国名の両方があり、アーティスト名として中国名を使っている”という冗談をYoutubeで話しています。話した後すぐに本人が嘘だと謝罪しました。
本当の由来はわかりませんが、ケンチンミンの気さくな人柄が伝わってきます。
NYの路上から始まるケンチンミンの人生
大分県で過ごす
ギターを始め、ロックバンドを結成
高校を卒業後海外へ・カナダ(バンクーバー)からNYへ
戦極MC BATTLEに声がかかり名が広まる。
本人のやりたいDJから遠のくのも現状を受け入れ活動を続ける。
数々のMCバトルで実績を残していく。
大分県で過ごした幼少期
ケンチンミンは幼少期を大分県で過ごしました。
中学時代にはギターを始め、ロックバンドを結成しています。
高校卒業を機に海外へ
ケンチンミンは地元大分の高校を卒業後、ギターを片手に海外へ飛び出しました。当時はまだHIPHOPに興味はなく、ロックンロールが大好きな青年でした。
最初は、カナダのバンクーバーに降り立ち、その後NYへと移ったようです。
NYでの出会いでHIPHOPに目覚める
カナダからNYへ移ったケンチンミンでしたが、就労ビザもなかったため、食べていくために路上でライブを始めました。その路上ライブでの出来事がケンチンミンの運命を大きく変えます。
路上ライブ中に、黒人の男性たちからギターを弾いてくれと頼まれたケンチンミン。言われるがままに弾くと、その黒人の男性たちがケンチンミンのギターに合わせてラップを始めました。
そのセッションをきっかけにケンチンミンはHIPHOPの世界魅せられていったのです。
日本へ帰国し大分を拠点に活動開始
その後、バンクーバー、NY、トロントでの生活を経験したケンチンミンは、日本に帰国します。
最初は東京に移り住んだのですが、東京での生活がしっくりこず、地元大分へと戻る決断をしました。
illmoreとの出会い
地元大分に戻り、音楽活動を始めたケンチンミンは、2015年にミニアルバム『THE 6 MONTH』制作しました。そして、2016年にビートメーカーのillmoreに声をかけ、一緒に曲作りを始めます。
ケンチンミンの楽曲の中にはillmoreプロデュースの楽曲がいくつもありますが中でも『Routine feat.唾奇 (prod. by illmore)』大ヒットしました。後ほど、人気楽曲の中でMVを紹介しています。
所属レーベルからの脱退を発表
ケンチンミンは2023年7月に所属レーベルのChilly Sourceから脱退したことを発表しました。インスタグラムでは、今までの感謝の気持ちを綴っています。
レーベルから脱退はするものの、音楽活動はこれからも継続するようなので、これからケンチンミンがどんな音楽を届けてくれるのか楽しみです。
ケンチンミンの人気曲は?
ケンチンミンの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
ケンチンミンの人気曲①「この街に生きてる」
ケンチンミンの地元大分を盛り上げようという気持ちが伝わってくる曲です。
ケンチンミンの人気曲②「Throw Back feat. GADORO」
何度も聞きたくなる一曲。リリックが心に刺さります。
ケンチンミンの人気曲③「Styles feat.BASI」
心地よいギターの音色が耳に残る一曲。ゆったりとした気分にさせてくれます。
編集部おすすめ曲「Routine feat.唾奇 (prod. by illmore)」
ケンチンミンの代表曲と言える曲。 YouTubeでは再生回数100万回を突破しています。
ケンチンミンと仲のいいラッパー
続いてはケンチンミンの交友関係を見ていきましょう。どんなラッパーたちと仲がいいのでしょうか。
illmore(ビートメイカー)
ケンチンミンとillmoreは一緒に音楽を作成するなどしています。
ケンチンミンの楽曲にはillmoreがプロデュースした曲が多くあり、人気曲の「Routine feat.唾奇」もその一つで、ケンチンミンの音楽にとって重要な存在です。
唾奇
「Routine feat.唾奇」でコラボしたケンチンミンと唾奇はプライベートでも仲がいいです。
ケンチンミンのツイッターでも唾奇の話題が度々登場していました。
気になるケンチンミンのアレコレ
気になるケンチンミンのアレコレについて紹介します!
ケンチンミンは経営者?
ケンチンミンは大分県で「PIZZA LINDA」と「鍋と焼き鳥のいりぐち」という飲食店を経営している経営者でもあります。
音楽だけでなく、経営者としても地元大分を盛り上げています。
ケンチンミンの家族
ケンチンミンは結婚していて、子どももいます。娘さんと息子さんがいるようです。
ケンチンミンのこれからの野望とは?
ケンチンミンはこれからの未来にどんな野望を抱いているのでしょうか。
これからも続く大分での活動
ケンチンミンはインタビューにてこのように語っています。
「僕、大分は人が街を生かしている都市だなと思うんです」
we are oitan
都会とは違い、大分は人が街を動かしているからこそ大分で生きる自分たちが、発信することが大切だと語るケンチンミン。
その気持ちが彼の音楽活動や飲食店の経営などにも繋がっているのでしょう。
これから、ケンチンミンがラッパーとしての活動に留まらず、大分でどのような活躍を見せてくれるのか、楽しみですね!
ラッパーケンチンミンまとめ
「ケンチンミンは、地元の魅力に気づいたことでラッパーとしての道を切り拓いた。」
高校卒業後、海外に飛び出したケンチンミン。日本に帰国後、最初は東京で生活していました。しかし、東京での生活に馴染めず、地元大分に戻ることを決意。
戻る前は乗り気ではなかったようですが、戻ってみて改めて地元の魅力に気付かされました。そこから、大分での生活がスタートし、現在では大分を代表するラッパーとなっています。
海外や東京、地元と全く違う場所での経験があるからこそ、ケンチンミンは改めて地元の魅力に気づけたのではないでしょうか。
当たり前になったり、視野が狭くなると悪いところばかりに目を向けてしまいがちですが、世界を広げてみることで新しい魅力に気づくきっかけが掴めるはずです。
では、ケンチンミンの音楽が気になった方はまず、「Routine feat.唾奇 (prod. by illmore)」を聴いてみてください!