ラップスタア誕生!シーズン3での優勝をきっかけに人気が爆発し、若手の中でも随一の人気を誇っているラッパー¥ellow Bucks。
自らのルーツである東海地方をレペゼンし続けることから「ヤングトウカイテイオー」の別名でも知られ、その名の通りシーンに新たな風を吹かせ続けている¥ellow Bucksは、今や日本語HIPHOPシーンの最重要人物の1人といっても過言ではありません。
今回はそんな¥ellow Bucksの人生を振り返りながら、彼の魅力を探っていきます。日本語HIPHOPシーンの今を語る上では絶対に欠かせない話題を紹介します!それでは早速check it out!
「¥ellow Bucksは〇〇という困難を、△△することで乗り越えた。」
¥ellow Bucksのプロフィール
アーティスト名 | ¥ellow Bucks |
本名 | 坂口 和(さかぐち わたる) |
年齢 | 27歳(1996年8月5日 生まれ) |
身長 | 175㎝ |
出身地 | 岐阜県高山市 |
拠点(レペゼン) | 名古屋 |
学歴 | 高校卒業 |
所属レーベル | To The Top Gang |
¥ellow Bucksは、飛騨高山の名で観光地としても有名な岐阜県高山市に生まれました。
小学生のころから習字や野球を習っており、自身のことを明るい性格だったと語る¥ellow Bucksは、高山市の雄大な自然と音楽に囲まれながら育ったそうです。
¥ellow Bucksのラップスタイル
¥ellow Bucksは自身のラップスタイルに関して
スタジオこもって曲ばっか作って街にも出ん、みたいなのはいくらでもいるじゃないっすか。(中略)自分にとっては自分の状況をリアルに歌うことがヒップホップだと思ってる」と語っています。
¥ellow Bucksインタビュー『“ヤングトウカイテイオー”って名前に恥じないように』
自身のことを「田舎生まれで穏やかな性格」だと評する¥ellow Bucksは、ギャングスタになるつもりもないと語っており、等身大のラップをし続けたいという思いが強いようです。
常に自分なりのリアルをラップし続けるのが¥ellow Bucksのラップスタイルなのですね。
¥ellow Bucksの名前の由来
学生時代はラップ好きの友達達と「Young Busta」というクルーで活動をしていたという¥ellow Bucks。
Young Bustaがを脱退し、ソロ活動に専念することを決断したとき「Young Bustaの愛称であるイニシャルのYBを残したい」と思い、¥ellow BucksというMCネームを考案したそうです。
ちなみに¥ellow Bucksの¥ellowは日本人などの黄色人種を意味するYellowと「お金を稼ぐ」という意味のBucksという単語を繋げて作ったそうで、YellowのYの字を¥に変えることで、よりお金を稼げるラッパーになりたいという意思を明確にしているそうです。
ニューヨークへの音楽留学から始まる¥ellow Bucksの人生
・岐阜県高山市に生まれる
・レゲエ好きな人たちに囲まれ、音楽好きの少年として育つ
・HIPHOPに興味を持ち始めリリックを書き始める
・15歳ごろからラップを始め、リリックの交換やサイファーを始める
・HIPHOPクルー「Young Busta」を結成し、ラッパーとしてのキャリアをスタートさせる
・HIPHOPイベントの開催をするなど精力的に活動
・18歳という若さながら750人の観客を集めてライブをおこなう
・Young Bustaが解散し、ソロ活動に専念
・バイトで貯めた70万円を元手に1人ニューヨークへ渡米し本場のイベントにも出演
・帰国後も解体屋の仕事をしながら音楽活動を継続
・2019年、活動の拠点を地元の高山市から名古屋に移す
・ラップスタア誕生のシーズン3に出場し、優勝する
・1st EP「To The Top」を発表しデビューを飾る・2020年1stアルバム「Jungle」をリリース・2022年凱旋MC battle in さいたまスーパーアリーナでライブを披露し、MU-TONとMCバトル・2023年、大麻取締法違反(所持)の疑いで逮捕
岐阜県高山市に生まれる
¥ellow Bucksは1996年に岐阜県高山市に生まれました。
元々レゲエカルチャーが根付いていたという高山市に生まれた¥ellow Bucksは、レゲエ好きの両親や周囲の人たちに囲まれたこともあり、レゲエを聞きながら育てられます。
そんな¥ellow Bucksは自身の幼少期について「ネガティブな感じではなく、どっちかって言うと上向きなタイプで、人差し指上向いてる系男子」と独特のユーモアで表現しています。
また、¥ellow Bucksは幼いころから字を書くのが上手だったそうで、小学校2年生のころからは習字を習っています。
一方、スポーツをするのも好きだったという¥ellow Bucksは、小学校3年生の頃には学校の野球チームに所属し、野球選手を夢見る野球少年としても活躍していたそうです。
中学生時代にHIPHOPにハマる
小学校を卒業した¥ellow Bucksは中学校に進学後も野球部に所属します。チームではセンターの守備を任せられていたという¥ellow Bucks。
ある日の練習中に同じポジションを守っていた同級生が、グランドに足で「AK-69」と書き「知っとる?」と話しかけられたのがHIPHOPとの出会いだったと語っています。
当時AK-69の名前を知らず、練習後にすぐ曲を聞かせてもらったという¥ellow Bucksは、その曲が小学校5年生の時に姉から聞かされていた「Ding Ding Dong」だとすぐに気が付いたそうです。
懐かしい思いに「おー知っとるわ!」となったという¥ellow Bucksは、そこからHIPHOPにハマり、徐々に野球より音楽にかける比率が大きくなっていったと語っています。
ラッパーとして初めてステージに立った高校生時代
中学を卒業した¥ellow Bucksは、地元の高山市にあるS&Sという服屋で働いていた2つ上の先輩ラッパー、シンシアに憧れ、シンシアと同じ高校への進学を決意します。
高校では野球を全くせず、まさにHIPHOP一筋となったという¥ellow Bucksは、シンシアと一緒に遊んだり、友人たちとYoung Bustaというクルーを作ってイベントに参加したりしながら活動を本格化させていきます。
当時の活動について「まだ高校生で、人たちでイベントを作らないとラップできるところがなかった」と語る¥ellow Bucks。実際、Young Bustaでは自らイベントを開催するようになり、日曜や学校のない日の昼間を中心に狭い会場をパンパンにさせる程の人気を誇っていたそうです。
活動初期は3人で始めたというYoung Bustaですが、メンバーが1人増え4人でやっていた時は「一番ゴリゴリの時期だった」と振り返るほどの勢いだったそうで、フェイクチェーンをジャラジャラ付けながら全身真っ白な格好をしたYoung Bustaは田舎町で一番のイケイケなクルーだったそうです。
ニューヨークに渡米しラッパーとしての経験を摘む
順調な活動を続けていたYoung Bustaですが、メンバーの入れ替えが続いたことにより徐々にクルーでの活動を「疲れた」と感じるようになったという¥ellow Bucks。
高校の終わりごろにはそんな¥ellow Bucks自身も「1人でやろう」と決意を固めたそうで、Young Bustaからの脱退を決意します。しかし、Young Bustaへの愛着は捨てきれなかったようで、この頃から¥ellow BucksはYoung BustaのイニシャルであるYBを取ったMCネームである¥ellow Bucksという名義で活動するようになります。
また尊敬する先輩ラッパーのシンシアがニューヨークに3か月間行っていたことに影響を受けたという¥ellow Bucksは、居酒屋バイトで貯めた70万円を元手に単身での渡米を決意。シンシアと同じくニューヨークに向かい、ラッパーとしての経験を積むことを決めます。
ニューヨークではとにかく誰かと曲をやりたいとの思いの元、目についた若手ラッパー30人ほどにDMを送ったという¥ellow Bucks。その中でも、唯一ビートと共に「このビートに24小節書いてこい」と返事をくれたというブルックリンのラッパーとは毎日会うほど交友が深まったそうで、結局3つの楽曲を共同制作することになります。
元々は「1曲できるだけでも奇跡」だと思っていたという¥ellow Bucksは、自身の音楽留学について「想像してたより結構やれてね?」と感じ、ラッパーとしての自信を深めるきっかけになったと語っています。
活動の拠点を名古屋に移し、ラッパーとしての活動を続ける
ニューヨークから日本に戻った後も、音楽だけで生活をすることは難しく、解体屋や土方などの仕事をしながらラッパーとしての活動を続けた¥ellow Bucks。
アメリカ帰りでアフロみたいな髪型をしていたという¥ellow Bucksは、当時一緒に住んでいたお爺さんに「夢を追うのはいいけど、もっと考えろ」と怒られたこともあるそうです。家族との関係が徐々に悪化し、家を出ることを決意した¥ellow Bucksは、当時所属していたレゲエチームのスタジオに住みながら楽曲制作に没頭。
しばらくすると、当時からライブでよく行っており、彼女の家もあった名古屋へ活動の拠点を移すことを決めます。名古屋に拠点を移した当時は派遣会社に就職し、仕事を転々としながら生活をしていたという¥ellow Bucksですが、どの仕事も長続きすることはありませんでした。
そのような環境で寮にも居づらくなった¥ellow Bucksは、友達の働いていたバーでの仕事をさせてもらう一方、彼女の住んでいた保見団地に転がり込み、そこで生活するようになります。その団地には昔からの知り合いであるラッパーPlayssonも住んでおり、共に楽曲制作をスタートしたという¥ellow Bucks。
ラップスタア誕生シーズン3で優勝
YouTubeの再生回数が増えはじめ、ライブにも良く呼ばれるようになるなど、自身の活動に手ごたえを感じ始めていた¥ellow Bucks。
そんな時「ラップスタア誕生」の募集がおこなわれていることを知った¥ellow Bucksは、その優勝賞金の300万円という金額に「やる!」と即決し、すぐに応募申し込みをおこないました。
本場ニューヨークで培ったラップスキルと天性の音楽感を武器に決勝まで勝ち進んだ¥ellow Bucksは、決勝のステージでもバツグンのラップを披露。
審査員を務めていたAnarchyも「超やばかったです。故郷への愛とか、これぞHIPHOPっていう良いライブを見させていただきました」と絶賛するほどのライブで見事に優勝を飾ります。
優勝後はすぐに母親に電話をし「おかん、勝ったぜ!」と優勝報告をおこなったと語る¥ellow Bucks。お母さんは号泣しながら¥ellow Bucksの優勝を喜んでくれたそうです。
優勝したお金でEPをリリース
ラップスタアでの優勝後は様々な人から連絡をもらい「ラップスタアでやった曲も入れてEPを出せばいい」とアドバイスをもらったという¥ellow Bucksは「リリースの仕方も全部教えてもらった」という1st EP「To The Top」をリリースします。
また、この頃からは憧れのDJであり「ラップスタアで優勝したらビートをお願いします」という約束をかわしていたというDJ RYOWとも楽曲制作を開始。
楽曲「Grow Up」は若者にバズり、さらにラッパーとしての知名度を高めるきっかけになったと語っています。¥ellow Bucksはその後も勢いそのままに活躍を続け、2020年には1stアルバム「Jungle」をリリース。
¥ellow Bucksの人気曲は?
¥ellow Bucksの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。
¥ellow Bucksの人気曲①「Yessir feat. Eric.B. Jr. 」
2020年に発表された1stアルバム「Jungle」に収録されている楽曲であり、YouTubeの総再生回数は3500万回を超える大ヒット曲です。
ゆったりとしたトラックに余裕を感じさせる¥ellow Bucksのラップが最高にカッコいい1曲です。
¥ellow Bucksの人気曲②「My Resort」
南国風のトラックとゆったりとしたノリのラップが特徴的なリゾート感溢れる人気曲です。
「外には舞う病原菌 ほら世界はいつになく右下がり でも鳴りやまないオレのMusic」と時代背景でもあるコロナのことを連想させながら、ステイホームの魅力を語る表現力の高さも素晴らしいですよね。
¥ellow Bucksの人気曲③「ヤングトウカイテイオー」
初のソロEP「To The Top」に収録されており、¥ellow Bucksのデビュー曲としても知られる1曲です。
「衝撃的だった名古屋のHIPHOP AKにM.O.S.A.D,phobie,DJ RYO 肩並べたいという思いで韻踏む今日」と自身のルーツを語りながら、ラップでスターになる決意を語る¥ellow Bucksのラップがカッコ良すぎます。
編集部おすすめ曲「Higher Remix (feat. YZERR, Tiji Jojo, eyden, Bonbero, SEEDA)」
現在の日本語HIPHOPシーンを牽引する豪華すぎる客演を迎えて発表された¥ellow Bucksの最新曲です。
シンプルなトラックだからこそ引き立つそれぞれのラッパーの個性を楽しみながら聞くことができ、中毒性が高い1曲となっています。
これだけの若手実力者たちのマイクリレーの締めを飾るベテランラッパーSEEDAの色褪せないカッコよさにもぜひ注目してみてください。
¥ellow Bucksと仲のいいラッパー
まさに天才的といってもいいラップスキルを武器に、数多くのラッパーたちと共演を繰り返してきた¥ellow Bucksは、仲の良いラッパーが多い事でも知られています。
今回はその中でも特に¥ellow Bucksと仲が良いとされているラッパーを2人に絞って紹介していこうと思います。
DJ RYOW
¥ellow Bucksと同じ東海地方出身であり、その才能を認めるDJ RYOWは¥ellow Bucksと仲が良いことで知られています。
普段から交友が深いというDJ RYOWと¥ellow Bucksは、楽曲でのコラボも多くなっています。
その中でも特に、今は亡き伝説のラッパーTOKONA-XとDJ RYOWが共同制作した日本語HIPHOPのクラッシック「WHO ARE U」のremixに¥ellow Bucksが抜擢されたことは特筆すべきエピソードでしょう。
名古屋の新旧ラップスターであるTOKONA-Xと¥ellow Bucksの時を超えた共演を実現させたことからも、DJ RYOWが¥ellow Bucksの才能に見惚れている様子が伺えます。
AK-69
¥ellow Bucksと同じく名古屋を拠点に活躍するラッパーであり、長年に渡り東海地方のHIPHOPスタイルを牽引し続けているAK-69も¥ellow Bucksと仲が良いことで知られています。
自身の代表曲である「Ding Ding Dong 〜心の鐘〜」をアレンジし、¥ellow Bucksを客演に迎え発表した楽曲「Bussin’ feat. ¥ellow Bucks」はYouTubeの再生回数が1500万回を超えるなどの大ヒットを記録。
さらに最近では2024年に名古屋の日本ガイシホールでAK-69 x ¥ellow BucksのSPECIAL LIVE「AK¥B」の開催も決定し、ニュースとなりました。
気になる¥ellow Bucksのアレコレ
ここまでは今をときめく人気ラッパー¥ellow Bucksの人生やおススメ曲について紹介をしてきました。
ネットで話題になっている¥ellow Bucksのアレコレについて、さらに深掘りした情報を紹介していこうと思います。
¥ellow Bucksのファッション
ドレッドヘアが特徴的でまさにラッパーらしいスタイルのファッションを着こなしている印象が強い¥ellow Bucks。
普段からストリートブランドのスタジャンなどを愛用していることが多く、ラップスタア誕生の決勝では「STARTER BLACK LABEL」のスタジャンを着用していました。
また、交友の深いDJ RyowのプロデュースするブランドであるDREAM TEAMのアイテムを着用することも多く見られ、帽子やリングなどの細かいところまでこだわったファッションを追求していることが伺えます。
¥ellow Bucksのタトゥー
¥ellow Bucksは背中に本名である「和」という文字のタトゥーを彫っています。
このタトゥーは、幼い頃から文字を書くのが得意で習字を習っていたという¥ellow Bucks自身が書いた文字を、彫り師に彫ってもらったものだそうです。
¥ellow BucksとMU-TONのMCバトル
¥ellow Bucksは2022年におこなわれた凱旋MC battle in さいたまスーパーアリーナでライブをした際、そのライブをラッパーMU-TONに「ダサかった」とディスられてしまいます。
このディスに腹を立てた¥ellow Bucksはバトル2回戦からステージに乱入、MU-TONに対し「お前さっきディスってくれたよな?やろうぜバトル」とフリースタイルバトルを仕掛けます。
これにはオーガナイザーの怨念JAPや、MU-TONの対戦相手としてステージに上がっていたCHEHONも驚き会場は一時騒然。急遽、¥ellow Bucksの宣戦布告に応えたMU-TONとのバトルが実現することになりました。
普段はバトルをおこなわず、フリースタイルの印象のあまり無い¥ellow Bucksですが、この際はさすがとも言うべきスキルを披露。
「喧嘩ができねえってラッパーだ、だからこのステージに来たんだわかったか」とラッパーとしてのスタンスを提示しながらライミングをするスキルを見せつけ、観衆を湧かせました。バトル後はMU-TONと握手を交わし「判定もクソもねえから。言いたい事言いに来ただけ」とステージを後にした¥ellow Bucks。
スペシャルエキシビジョンということで勝ち負けを付けない飛び入りバトルでしたが、満員のアリーナにラッパー¥ellow Bucksの存在を見せつけた様子はSNSでも大きな話題となりました。
¥ellow Bucksのこれからの野望とは?
ラップスタアで優勝して以降、破竹の勢いで活動を続け、今ではシーンの顔とも呼ばれるべき存在まで上りつめた¥ellow Bucks。
では彼は今後どのような野望を持ち、ラッパーとしてのキャリアを積んでいこうと考えているのでしょうか。最後に彼の語った言葉から¥ellow Bucksの目指す夢や野望について紹介していきます。
自分の手で名古屋のシーンを盛り上げたい
今後の野望について「名古屋でヤバいスタジオを作りたいと思っている」と語る¥ellow Bucks。
目標は海外からアーティストを呼んで接待したり、一緒に曲を作れる環境を整えることだそうで、そんなスタジオを名古屋の若いラッパーにも使って欲しいと願っているようです。
また、理想としては車のディーラーをやっている友達に声をかけ「スタジオ、車屋さん、ガソリンスタンド、ガレージ、服屋を全部一つの場所にドーンとできたらいいんですけどね。それにクラブと飲食店もやりたい」と壮大な野望を語っていました。
日本を代表するラッパーになりたい
¥ellow Bucksはインタビューで「例えばLAのラッパー、ニューヨークのラッパーっておるように(中略)俺は日本っていうエリアのラッパーとして、仕事で海外に行けるようになったら現地のラッパーと仲良くなって、そのラッパーが日本に着たら俺が世話したりして、日本には¥ellow Bucksがいるから大丈夫って思ってもらえるような存在になりたい」と語っています。
単身で音楽留学をするほど海外志向の高い¥ellow Bucksですが、このような発言から、日本人であることに対する誇りのようなものを感じることができますよね。
また¥ellow Bucksは海外の大物プロデューサーと組んでやってみたいという思いも強いようで、特にスコット・ストーチやドクター・ドレの名前を上げ、共に楽曲制作をする日を夢見ていると語っています。
ラッパー¥ellow Bucksまとめ
「¥ellow Bucksは日本のHIPHOPシーンの枠におさまりたくないという困難を、本場ニューヨークへの音楽留学で乗り越えた。」
岐阜県高山市に生まれ、ラッパーとしてのキャリアをスタートさせた¥ellow Bucks。
今でこそ自身を育ててくれた高山のHIPHOPシーンに感謝をする一方、一時は「高山じゃダメだ」と地元のシーンを批判し、単身ニューヨークに向かうなどの葛藤を経験したラッパーでもありました。
ニューヨークで様々なラッパーと出会いHIPHOPのキャリアを積み、帰国後も名古屋を拠点に活動を続けている¥ellow Bucksは、まさにその行動力と思い切りの良さで自身の成功を勝ち取って来たラッパーといってもいいでしょう。
ラップスタアで優勝後も満足することなく、貪欲に楽曲制作やライブを続け、日本を代表し、世界から認められるラッパーになりたいという野望を持ち活動を続ける¥ellow Bucksの活躍からは今後も目が離せそうにありません。
みなさんもぜひ、¥ellow Bucksがさらなる大スターになっていく過程を応援してみてはいかがでしょうか。