ラッパーZeebraのプロフィール紹介|その壮絶な生い立ちから最新の人気曲まで徹底解説

活動の初期からその才能を開花させ、黎明期だった日本語HIPHOPシーンのレベルを新たな次元に引き上げた立役者としても知られるラッパーZeebra

日本で最も影響力を持つと言われる伝説のHIPHOPクルーKING GIDDRAのメンバーとしてその名を馳せて以降、現在もシーンの仕掛け人として活動を続けているZeebraはまさに、日本語HIPHOPを語る上で欠かせない超重要人物です。

今回はそんな伝説のラッパーZeebraについて、その経歴や人気曲などを詳しく紹介いたします。日本語HIPHIOPシーンの過去や現在、そして未来を語る上で絶対に外せない情報を詰め込みますので、ぜひ最後までご覧いただければと思います。それでは早速CHECKしていきましょう。
 

pucho henza

「Zeebraは◯◯という困難を、△△で乗り越えた。」

目次

Zeebraのプロフィール

アーティスト名Zeebra
本名横井 英之(よこい ひでゆき)
年齢52歳(1971年4月2日 生まれ)
身長 178㎝
出身地東京都港区
拠点(レペゼン)東京
学歴文化学院高等学部中退
所属レーベルGRAND MASTER


Zeebraは1971年生まれで、同世代のラッパーとしてはYOU THE ROCK★TWIGYなどが知られています。

2017年9月に慶應義塾大学の特別講師としてHIPHOPについての講義をおこなったZeebraはそのエピソードから、慶応義塾大学中退と勘違いされることも多いですが、これは勘違いで、最終学歴は文化学院高等学部中退です。

Zeebraのラップスタイル

10代のころにニューヨークに渡り、本場のHIPHOPを見聞きした経験があるZeebra。

そんなZeebraの楽曲は自分自身の存在を誇示したオラオラ系のリリックと、ラッパーらしいドスの効いたイカツいダミ声が最大の特徴となっています。

Zeebraの書いたリリックで有名なものとしては「俺は東京生まれHIP HOP育ち」「悪そうな奴は大体友達」「不可能を可能にした日本人」などが挙げられます。

HIPHOPについてあまり知らないであろう人でも思い浮かべるラッパー像としてもイメージしやすいこのスタイルは、他でもないZeebraの影響により広まったとすら言われています。

日本語ラップの先駆者であり第一人者として知られているZeebraを象徴するようなエピソードですよね。

Zeebraの名前の由来

Zeebraはその名前についてシマウマを表す英単語ZEBRAが由来だとしており「俺がZeebra鼻息荒いシマウマ」という有名なリリックも存在しています。

また、Zeebraという名前はシマウマの体の色である白と黒(陰と陽)を表していて、様々な物事の両面を表現するという意味もあるそうです。

KING GIDDRAの結成から始まるZeebraの人生

幼少期〜小学時代

・東京都港区に生まれる
・5歳のころに両親が離婚し母親に引き取られる
・慶應義塾幼稚舎に入学

中学時代

・慶應義塾普通部に進学
・中学生にしてクラブやバーなどの夜遊びを始める
・慶應義塾普通部を2年生時に中退
・都内の区立中学校に編入し、卒業

高校時代

・文化学院に進学するも1年生の2学期に中退

高校中退後

・17歳の頃にニューヨークに渡り本場のHIPHOPを学ぶ
・六本木や渋谷のJ-Trip BarでDJとして活動
・幼馴染であるDJ OASISと共にユニットPOSITIVE VIBEを結成

デビュー後

・1993年K DUB SHINE、DJ OASISと共にキングギドラを結成
・1996年キングギドラとしての活動を停止
・2002年キングギドラを再始動。
・2008年ラッパーデビュー20周年を迎え、11月1日に日本武道館で20周年記念ライブ
・2014年レーベル「GRAND MASTER」を発足
・2014年自身が主催するヒップホップフェスイベント「SUMMER BOMB」を初開催
・2015年フリースタイルダンジョンの放送が開始されメインMCを務める
・2022年「BATTLE SUMMIT」に参戦
・2023年若手ラッパー発掘の為に「FSLトライアウト」を開催

東京都港区に生まれる

Zeebraは1971年4月2日に東京都港区で生まれました。

義父に建築家の佐倉竹之助、父方の義祖父に建築家の坂倉準三、曾祖父にに文化学院創設者の西村伊作がいる他、母方の祖父も元ホテルニュージャパンの経営者として知られる横井秀樹がいるというZeebraは、華やかな家系の長男として育てられます。

その後両親は5歳の時に離婚し、母親に引き取られることになったZeebraですが、慶応義塾幼稚舎に進学するなど、かなり恵まれた環境で育てられたそうです。

中学生の頃から夜遊びを始めるなどの荒れた学生生活を送る

慶応義塾普通部に進学し、中学生生活をスタートさせたZeebraですが、このころからすでにクラブやバーでの夜遊びを始めていたそうで、家には帰らず友達の家に寝泊りする毎日を送るようになります

このような生活を続けていたため、慶應義塾普通部は中学校2年生時に退学。その後はセントメリーズ・インターナショナル・スクールに2日間だけ登校したこともあるそうですが、結果的には区立中学校を卒業しています

中学を卒業したZeebraは数々の有名人を輩出してきた名門専門である文化学院に進学。当時からすでにHIPHOPにハマっていたというZeebraは自由な校風の文化学院にスケボーとラジカセという出で立ちで登校していたそうです。

しかし「毎日同じ時間に起きて学校に通うことが無理」と感じたZeebraは1年生の2学期時点で文化学院を退学。

その後は音楽の世界にその身を投じていくことになります。

ニューヨークで本場のHIPHOPを学び、ラッパーとして活動を始める

当時からHIPHOPが大好きだったというZeebraは「向こう(アメリカ)がどんなもんなのかやっぱり一度は見てみたい、とにかく行きたい」と思いたち、17歳のころに渡米を決意

当時友人がニューヨークの学校へ通っていたという縁から、その友人の家に転がり込み、1か月半ほどをかけて本場ニューヨークのHIPHOPを学んだそうです。当時の率直な感想について「まずニューヨークという場所にやられた」と語るZeebraは本場のHIPHOPやラップに衝撃を受け、プロのラッパーになることを決意したと語っています。

帰国後は幼馴染であるDJ OASISと共にHIPHOPユニット「POSITIVE VIBE」を結成したZeebra

当時は日本語を使わず、英語だけで曲を作っていたそうです。

K DUB SHINEと共に伝説のユニットKING GIDDRAを結成

そんなZeebraが友人であるMC兼ビートメイカーのT.A.K THE RHHHYMEの家に遊びに行っていた際、中学生からの知り合いであり3つ年上のK DUB SHINE「日本語でラップを始め、ライムもちゃんとしている」という噂を聞きつけます。

その話に興味を持ったZeebraは当時アメリカのオークランドに住んでいたK DUB SHINEに国際電話をかけ、ラップを聞かせてもらったそうです。

K DUB SHINEのラップを聞いた瞬間に「あっ、これはこれまでの日本語ラップとは違うな」と感じたZeebraはそれ以降、日本語ラップの可能性を感じ、自身でも日本語を使った作詞をおこなうようになります

その後Zeebraはオークランドに向かいK DUB SHINEと再会。

なんとなく「オレたちだったらうまくいくんじゃないかな?」という予感もあったそうで、Zeebraの幼馴染であったDJ OASISと共に、後に伝説として語られるHIPHOPクルーKING GIDDRAが結成されます

当時からアメリカにもツテがあったというKING GIDDRAはデフ・アメリカンやイモータルレコーズなど、アメリカのレーベルからデビューするという話もあったそうです。

しかし、当時着実に動き出していた日本のHIPHOPシーンの流れの中でやったほうがいいんじゃないか、という思いもあり、悩んだ末に日本のインディーズレーベルであるPヴァインからのデビューを決定

デビュー作である「空からの力」は日本の幅広い音楽シーンに影響を与えることになりました。

KING GIDDRAとしての活動を休止しソロラッパーとして活躍

数多くのラッパーに影響を与えていたKING GIDDRAですが1996年にその活動を休止し、Zeebraはその後ソロラッパーとして活動を開始することとなります。

1997年にはシングル「真っ昼間」をリリースし、ソロでのメジャーデビューを果たしたZeebraは、1998年に自身初となるソロアルバム「THE RHYME ANIMAL」をリリースするなど順調な活躍を続けます。

そんな中、2002年になるとKING GIDDRAとして6年ぶりとなる活動再開を発表。

2ndアルバムとなった「最終兵器」はオリコンチャート初登場3位を記録します。

しかし政治、宗教、社会、マスメディアやシーンに対しての痛烈なメッセージや過激な批評を含む楽曲が多く収録されていた「最終兵器」は、後にはCDの回収騒動やメディアでのオンエア禁止に発展したり、大手新聞やマスコミで論争が起こるほどの反響を呼ぶこととなりました。

またその後、Zeebraはソロでも2006年に代表曲となる楽曲「Street Dreams」をリリース。

B面として収められた「Wildin’」も自身が出演したフジテレビ系ドラマ「15歳のブルース」の主題歌として扱われ、大きな反響を呼びました。

日本語HIPHOPブームの仕掛け人として最前線で活躍

2013年にリリースした8枚目のアルバム「25 To Life」以降は新作の発表が無いZeebraですが、決して日本語HIPHOPの第一線から退いたわけではありません。

2014年に「新世代の台頭により活性した日本語HIPHOPシーンのレベルを上げたい」という思いの元、自身が代表を務めるレーベル「GRAND MASTER」を発足すると、2015年にはメインMCとして数多くの人気ラッパーを生み出した有名番組「フリースタイルダンジョン」の発足にも携わります。

2022年にはフリースタイルバトルのプロリーグ化を目指す新たな試み「フリースタイルリーグ」というプロジェクトをスタートさせるなど、プレイヤーというよりも仕掛け人側として日本語HIPHOPシーンの発展にその力を注いでいたのが最近のZeebraの活動です。

しかし一方で2022年10月には、YouTubeの人気企画「THE FIRST TAKE」でKING GIDDRAとして20年ぶりのカムバックを果たし、ヘッズを驚かせるなどラッパーとしても活動を続けているZeebra。日本語HIPHOPシーンの裾野を広げる活動をしながらも、新しい楽曲で私たちの胸を躍らせてくれる日も近いのかもしれません。

Zeebraの人気曲は?

Zeebraの人気曲と、pucho henza編集部の一押し曲を紹介していきます。

Zeebraの人気曲①「Street Dreams」

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